【夢現、北斎百景夢百景】 |
渓流のような荒々しい人波に揉まれながら、一方で意外にゆっくりとした足取りが面白い。行き先の列車が全席指定席であることをまず主原因として、そもそもはしゃぐほどのことでもないというのが副原因。このイベントも、その程度の案配なのだろう。毅然として振るわれる駅員の人員整理は今ひとつ用を為しておらず、しかしそれが無くとも客足の列は乱れることなく、改札口の方へ大人しく吸い込まれていた。
大規模な通勤族のために建設された酉京都駅の構内を、平日の朝とさほど変わらない数の人間が、いつもよりちょっとだけ砕けた足取りで進んでゆく。今日は、ちょっとだけ特別な日曜日である。通勤の大動脈として機能する最新鋭の新幹線も今日一日だけは、やはりちょっとだけ、肩肘の張らないオフの雰囲気を醸し出している。
それが良いか悪いかは別として、である。
「あ! 携帯忘れてきたわ蓮子」
「まあ、どうせ樹海の下じゃ繋がらないんだし。……正しくは、繋がるようにしていないだけどね」
卯酉遷都の年月日が初めて社会科の試験問題に!と先日朝刊がはやし立てて、あぁ、そういう時間の計り方もあるのだなあ――と、妙に感心した覚えがある。
普通に指折り数えるよりはちょっとお洒落でヴァーチャルな計時法だと思った。過去を測る物差しとして、それに思わず頷かされてしまったから面白い。
すったもんだの末の大遷都――そこから更に時は流れ流れて、生きている者は皆初体験であった遷都という一大事件と、そしてひどく泥縄の印象が強かったこの新幹線と――それらも溶け込んでしまえば、意外とあっさり時代の一角に居座ってしまうものであった。巷の人間の記憶を垣間見れば、正確な遷都号令の施行年月日はおろか、その一大国策へ首を賭した政治家御歴々の名前すら既に忘れがちである。拳を振りかざして力説をしていた政治家達の、誰が立役者で誰が失脚者かなど、ここで今ふたり歩く大学生ですらも定かな記憶を失している。その程度の有様なのだ。
……いや、それは単に日頃の浅学がもたらした無惨な結末なのかもしれないが、そんな人名などはそれこそ、歴史の片隅にも居座れずにただ流れ去っていって、それが集合体的に変化して十把一絡げの歴史と称されていれば良いのである。功績にせよ罪過にせよ、彼らは卯酉遷都の人柱として、歴史家の頭脳へ後世に至るまで名を刻む。彼らも本望だろう。だから構わない。自分達が考え直してみたところで、やはり興味も湧かないのに違いはなかったのだ。
ホクサイ・デー。
卯酉東海道建設10周年記念のセレモニーは、あくまで日常の延長線のように、駅のホームの向こうで待っているのだった。人足をはしゃがせるほどの力も無いささやかな祝賀は、ある意味で、大きな変化を遂げた日本というこの国が、既に「時代」として受け容れられたその象徴であるようにも見える。
透明なパイプラインを貫いて走る新幹線の車外に、江戸の富士を描き出す。そんなメルヘンチックな発案が実現した科学の時代、その10年目という特別な日に鉄道会社が用意したイベントはこうだ。
ヒロシゲの五十三次に代わり、北斎の三十六景でいつもと違う卯酉東海道をお楽しみください――
「ねぇ蓮子、どう思う?」
「?」
「どう考えてもこのイベント、安上がりな予算と安上がりな発想で出来てるわ」
「否定はしないけどね、否定は」
安上がりというか、ちょっと風変わりというか。
何だか不思議な気がする。ヒロシゲ、という名を冠した新幹線の十年目に、どうして広重を追いやるようなイベントをするのだろう。
メリーは少しだけ深く考えたが、しかしすぐにその思考を捨てた。割と、どうでも良いことであるような気がしたからである。
広重や北斎の江戸時代が遠い過去であるのと同じように、この新幹線が走り始めた十年前もまた、今となっては過去の一片でしかない。数値にして何十倍という差がそこに横たわるとしても、生きる人々の中でリアリティの重みを失ったその時代は、等しく過去なのだった。数値ではない時間の過ぎ去り方こそ、まさにヴァーチャルというに相応しいのではないか。
改札口を予約席チケットで抜けるとそこには、おまけ程度のトレインマークとラッピングを施された特別仕様のヒロシゲが、出番を待っていた。ホームではそれなりの人出でごった返し、各々が手に、波裏富士のプリントされたきっぷを持って指定の車両番号を探している。
宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーンの二人は、右往左往の人々が波裏を為すホームをくぐり抜ける。
指定の車両に逃げ込み、指定の座席へと座った。その短い丁場ですれ違った人波の、その寂しいまでの大人しさが、メリーには印象に残った。
「思えば……蓮子、」
「何?」
「東京の方に行くのも、何だか久しぶりね」
まだ動き出さぬ窓外をメリーは眺める。構内放送が、遠く小さく細く聞こえる。先程まで揉まれていた人波は、今や窓を隔てて向こう側の世界になる。そしてこの窓は、間もなく江戸の富士を映しだすスクリーンになる。現在-いま-の忙しないプラットフォームの光景が江戸の富士へと変わるまで、あと三分を切った。
同じ窓に映される二つの光景を、メリーは思う。
あの退屈にしか思えない卯酉東海道ご自慢・東海道五十三次の絵巻と、そしてこの人間模様と――
そこにリアルとヴァーチャルの境界線を引くとして。
それは一体果たしてどっこい、どちらか片方に寄るものなのだろうか。
「……ねえ、蓮子」
「もうさっきからどうしたのよメリー。今日は随分と、寂しがり屋さんじゃない」
蓮子が茶化す。ちょっとだけむっとし、だけど、案外そうかもしれないとメリーは思った。
寂しいと思っていた訳ではないだろう。自分は、久々の二人旅に浮かれているのだろうか。
それとも――
「……何か、ね」
どうにも心が落ち着かない。
車両の後ろの方で、扉の閉まる音がする。喧噪はいよいよ遠く、自分の座る場所が五十三分間への支度を調えた。
静かに進む時間の中で、この得体の知れない不安は、一体何が運んできているというのだろう。
この先に待ちかまえている、非日常たる富士の光景か。静かすぎた人々の声か。
それとも窓の向こうでプラットフォームが見せた、名状しがたい、得体知れぬ焦燥感のせい――だったろうか。
■ ■
見渡す旅路に、多くの商人が行き交う。風来坊のような旅人の姿も見えた。
天気は快晴である。初夏の日差しであった。
非常に空気の澄んだ日だった。前の日には雨が降ったのかもしれない。向こう側に見える山肌の、急峻に切り立った岩の襞ひとつひとつの刻みまでが黒くくっきりと見えて、文字通りの青嶺は空に混ざり合って消えてしまうのではないだろうか。抜けるような快晴の朝である。そして、その下に広がる景色は圧倒的なコントラストと彩度でもって、眼前を覆いつくしているのである。
そんな鮮やかな街路の一番向こうに――メリーは、霊峰富士の姿を認めていた。
その姿は雄々しくも小さく、鮮やかなれども近くなく、遠い地平の上から脇役のようにそっと往来をのぞき込んでいる。
さらに次の瞬間、光景は――ふ、と消えた。
『次は六番目、深川万年橋下よりの図です――』
そして、次の一枚が浮かび上がる。
絵が切り替わるたび、スピーカーの中から女の人が喋る。学術書を丸写ししたような文面と、学術書が喋っているような抑揚のない口調だ。メリーは、どうしても気に入らなかった。
逐次説明を挟まれてもあまり聞いておらず、また単調な声音が鄙びた観光地のガイドマシーンのようでいかにも安っぽく、雰囲気を損なう邪魔っ気ばかり鼻について仕方なかった。ヒロシゲの時は、こんなガイドなどついていなかったと思う。
そうやって一度気分を掻き混ぜられてから自分を宥め落ち着かせる。そして、残った時間で絵画を楽しむ。
どう考えても勿体ないのだが、しかし結局の所メリーはといえば、一喜一憂しながらも窓外にきっちりと心を奪われているのだった。
……美しい。
メリーは純粋に、素直に、窓外の富士を貪るように眺めていた。
幾度と無く利用したヒロシゲから見た富士の、あの日常見ている絵は、この国の文化に確かに相応しい独特のタッチを感じさせた。それでもメリーは、――自分が異国の人間であるという点を差し引いても尚、ヒロシゲの絵があまり好きになれないでいる。
嫌いではない。だがすぐに飽きてくるのだ。一番最初に乗った時でさえ、最後は飽きてポケットから小説を広げた。
蓮子の呆れた顔を、メリーはふと思い出した。
だが今回は違う。
一枚切り替わるごとに違う絵が見えてくる。本当に違う絵だ、目を捉えられ、めくるめく富士の光景にすっかり心酔してしまう。一枚一枚が、心に突き刺さるような色彩でもって表現されている。正誤とか優劣とかで測れない、確かな違いを持ちながらそれが一つひとつの絵画として存在している。本物の個性がある。同じ山を映して尚、同じ山が一つとしてない。青というひとつの色をとっても、少しずつ違う青がある。
「素敵……」
素人目にも、歌川広重の浮世絵とはまったく異なる、鮮やかで透明感のある色彩だった。
山の色空の色、土の色木々の色と、すべてが心を掴んでくるように迫ってくる。掴むその強さや質も一つひとつ違っていて、その多様さでもってまたメリーは縛り付けられる。
「メリーはどうやら、広重よりも北斎の方が気に入ったみたいね」
「ええ。参加して良かったと思うわ」
蓮子への返答もそぞろになるほどの魅力で、メリーは深い心地に包まれる。彼女はヒロシゲの五十三次を退屈だと考えた。そして北斎に今魅了される理由と共に、退屈の原因をメリーは思う。
ヒロシゲの絵は絵画だ。だけど、今眺めている絵は風景と呼べる。そして過去の風景である。
過去は過ぎ去った現実である。過ぎ去った現実はヴァーチャルである。ヴァーチャルであるが過去だから、ただ虚構に終わらぬ、確かな存在のヴァーチャルなのである。
それがメリーを、我知らず安堵させていたのかもしれなかった。
「メリー。面白い話を一つ、してもいいかしら」
「うーん……できれば、あとがいいかな」
「今の方が良いわ」
蓮子が身を乗り出してメリーに言った。メリーは面倒くさげに、窓から視線を切らない。
「広重の絵の方が退屈だって、メリーは思ってる」
蓮子が言った。
メリーは振り向くこともなく、否定も肯定もしなかった。友人の第六感が自分の内心を見透かしたところで、会話に肯んじる理由を生まなかった。メリーは、窓外の富士の光景に夢中であった。
「ダメよ、広重さんが悲しむじゃないの」
富嶽の絵がまた次の絵に切り替わる。その瞬きの瞬間にメリーは少しだけ、富士から目を離して蓮子を一瞥する。
小さく視線で詰問した。メリーは、また視線をカレイドスクリーンへ戻す。窓に映った蓮子に、メリーは喋りかけた。
「広重が見た富士と北斎が見た富士。おかしいくらい違うわね」
「見た富士が違うんじゃなくて、描いた富士が違う――という、考え方はどうかしら」
「個人的嗜好によりパス。そんなつまらないこと無いわ」
「まぁ、私も賛成だけどね。さして大きな違いでもないし」
「いえ、大きな違いだと思うけど――」
乗せられて口が滑らかになりかかったが、メリーはこれに気付いたから口を噤んだ。万華鏡のスライドショーを、一枚も見逃したくないという気持ちが強い。
見る、と、描く、の違いは、感性の能動性の違いである。描くというのは、外部の色をアウトプットする受動であり、見る、というのは、外部の色を受け止めに行く能動である。
蓮子は些事と笑った。メリーは笑うことが出来ない。それはつまるところ、ヴァーチャルとリアルの境界線に他ならなかったのである。
「広重の夢、か。卯酉東海道が、富嶽三十六景の四十六枚絵を採用しなかったのは、北斎の狂おしさを認めることが出来なかったからだけど――」
「蓮子、」
「いいじゃないの。そっちの方が夢があるわ」
「馬鹿。夢が崩れるわよ」
葛飾北斎という画家は、その八十余年に及んだという長い生涯の中で、数十とも言われる号をとっかえひっかえ用いたとされる。自分を排斥する行為であった。自傷趣味にも似た改号を繰り返した北斎の心証に、歴史のスポットライトは残酷な結末を与えた。
北斎の絵は、ヴァーチャルを映し出している。メリーは今、北斎の絵を眺めつくしながら思う。
彼は、リアルを追い求めたのか。ヴァーチャルを求めたのか。
その土俵に考えた時に、改号が自然な形で、収まりの良い回答を得る。
そしてメリーを、また焦躁に落とすのである。浮世絵に浮かんだ超特急が、そのまま江戸の夢の中へと、走り込んでしまうような気配である。
「蓮子。現実、って、絵描きに描けるものだと思う?」
「思うわね。現実ってのは、仮想現実の集合体なんだから」
「……馬鹿」
メリーは、窓外の富士から視線を外し、目の前の親友を眺めた。
そこに確かにある少女の姿と、不遜な懊悩を弄しているマエリベリー・ハーンがある。カレイドスクリーンを楽しみ続ける無辜の客。
そこにあるものを現実と言うのなら、北斎の絵がくれた安堵は何だった、というのだろう。
メリーは例によって、深く考える必要がないことだろうと思った。それは、しつこく尾を引いてきた。断ち切ることが出来ない。自己矛盾を起こした部分が、エラープログラムのように警告音を鳴らし続けていた。
仮想現実の集合体の中で、メリーは、友の意地悪な言葉に視界を霞ませた。
ほっそりとした少女の姿が、眩暈に襲われて輪郭を崩す。
「……列車酔いした」
「は?」
メリーは力なく、蓮子にそう言う。雑念に苛まれながら零した戯れ事にしては、機転の利いたことを言ったと思った。
歌川広重と葛飾北斎、二人の画家が実は同一人物であったという知識は、既に近代社会史の常識として教科書にも載る時代となっている。
こんなにも鮮やかなヴァーチャルを生み出す北斎は、あんなにも現実味だけを醸し出す広重の一面でしかないという事実が、メリーと蓮子、秘封倶楽部の土壌を決定的に揺るがすかもしれない。
メリーははっきりと知覚している。乗車前に蟠った焦躁は、恐怖感と置き換えても良いものであった。
「蓮子とも、いつかお別れするのよねえ」
「するわねえ」
「大学が終われば、秘封倶楽部も消えてゆくんだし」
メリーは、北斎の絵を今、漠然と眺めている。ヴァーチャルは心象風景として、抵抗無くメリーの胸に受け容れられる。
北斎が改号を繰り返した理由も、広重の絵があんなにも現実的だった理由も、今の史学が解明してしまった。少なくとも表面上、そこに謎は残されていない。
「北斎の絵は、広重の夢だった」
与えられた結論である。
広重は、ヴァーチャルを追い求めたのだ。北斎は、ヴァーチャルを描き出すことのできる画家として存在した。広重が生涯、東海道五十三次から富士三十六景まで富士を追い続け、成し遂げられなかった夢を、葛飾北斎が踏破していった。
広重と北斎が同一人物であった暁は、ヴァーチャルとリアルが、感性の能動であることを示していた。
秘封倶楽部としては歓迎すべき事象だったのかもしれないが――
それは同時に。
「蓮子は、ずっと、私の友達で居てくれるのかしら」
目の前の親友は、押し黙ったままであった。
散発的に発せられるメリーの言葉を、理解しているのかしかねているのか、そこに表情も、返答も紡がれることはない。
揺るがぬ現実を探すメリーの前で、友人は押し黙る。ヴァーチャルの浮世絵が、一枚また一枚と、飛ぶようにめくり獲られてゆく。
『次は、第三十一番――』
バン、という音が車内に響いた。メリーは驚いて顔を上げた。上げた先に色がない。視界は唐突に闇で覆われた。カレイドスクリーンも暗転している。車内灯も点灯しない。急激な前のめりの力が働き、メリーは座席から転がり落ちる。
「蓮子!」
「メリー!?」
すべての灯りが消えていた。前のめりはやがて収まり、鋭い金属音が、止む直前になって耳に届いた。ただいま電気系統のトラブルが、等と、車内放送が慌てた調子で叫んだ。車掌が放送を繰り返す。
お客様は、今居られる場所から、絶対に動かないでください。
メリーは、暗中に手を伸ばす。
お客様は、今居られる場所から、絶対に動かないでください。
お客様は、今居られる場所から、絶対に動かないでください。
車掌が喋っている。
お客様は、今居られる場所から、絶対に動かないでください。
「蓮子!」
暗闇に振り回す腕が、椅子だとか壁だとか、床だとか、様々な固い物にぶつかる。非常灯の一つもつかないのか。おかしいじゃないか。外に景色もない。急ブレーキで新幹線は止まったのか。私はどこにいる。暗闇で何も見えないここは、本当にまだ、卯酉東海道の中か。近未来の、超特急新幹線の中なのか。
宇佐見蓮子は、どこだ。
「メリー!」
振り回した手が、柔らかいものに触れた。
「蓮子!」
接触のまま離れてしまった対象に、メリーはもう一度、同じ向きで腕を振るった。二度三度と当たる気配。翻る掌を掴まれる感触。掴まれる。別の手で、掴まれる。
「大丈夫」
友人に掴まれた掌。暗闇、何も見えない向こう側から、あたたかい掌が掴んでいる。自分の手を掴んでいる。
「……私は、ここにいるわ」
北斎も広重も消えた。
ここにあるのは黒い闇でしかない。
メリーは思った。広重も北斎も、きっと大好きだ。同じ人でも、違う人でも良い。
消えてしまう世界があったとしても。
今見ている現実が、たとえ、正気と狂気の狭間で揺れている、吊り橋のようなか細い場所だとしても。
「ごめん、蓮子。今日は本当に、甘えん坊みたい」
今ここにあるリアルが、壊れないでほしい。
灯りが戻り始める。
車内灯が点灯する。カレイドスクリーンが、ERRORの文字を明滅させながらブルーバックで蘇る。
暗順応の瞳が、一気に白転した車内に灼かれた。
そして目を擦る。目を開く。
眩しすぎた現実の向こう。エラーを表示し続けるカレイドスクリーン。
そして、明るくなってもまだ、繋いだ手を離さないでいてくれた友達の笑顔。
メリーは救われた。
リアルの脆さとヴァーチャルの脆さの狭間に、樹海が横たわる。
両端の朽ちた吊り橋から、正義のヒーロー・宇佐見蓮子は、たったひとつの掌で、マエリベリー・ハーンを掴んでくれていた。
復旧までの間ヒロシゲが再出発を見合わせており、メリーは暇な時間を過ごしている。
エラーを吐いたカレイドスクリーンは、今、原因不明の中断が挟まる時見せようとしていた絵を表示し、そのまま固まって、乗務員ならびに新幹線の管理室を悩ませていた。
表示されているのは、凱風快晴。
俗に言う、赤富士であった。
「ねぇ蓮子」
「何?」
「結局、何だったのよ、この故障」
「いや――私に聞かれても」
蓮子は困った顔をした。メリーは、ぷっ、と吹き出した。
大方、通常と違う上映プログラムを再生するにあたって、何かしらの誤作動を起こした程度のことだろう。車両の安全点検では問題がなく、再出発はまもなくです、と、車掌が放送で知らせてくれた。
「ヒロシゲとホクサイは、本当に同一人物だったのかしら? 蓮子」
「どっちでもいいかもしれないわね。私は、自分なりに考えてることがあるけど」
「何?」
「言わない」
「えー」
蓮子は笑っている、ひとまず二人が無事だったことに、メリーは安堵するのである。
その次に、世界が無事だったことに安堵した。
何のことはない。マシンが夢を見たのだ。
車内は、カレイドスクリーンの映像のせいで真っ赤に染まっていた。誰もが見たことのない、真っ赤な富士の姿が、カレイドスクリーンに浮かび上がって動かない。
誰も見たことのない富士を描き出した、葛飾北斎という人物。現実の富士を描き続けた、歌川広重なる絵描き。
マエリベリー・ハーンは、この国この小さな世界が、素敵なヴァーチャルで満ち溢れていることを、嬉しく思うのである。
あたたかさの残った掌をそっと、頬に当てる。
北斎の絵は、快晴である。
この作品は、本当はプロローグ作品です。 冒頭の部分から繋がる長編の構想が別にあり、こんぺにはそれを出展する予定でした。 だが時間とは残酷なものだよ! そしてその構想は、2年近くを経た今でも死んでいません。 こんぺ時のお題は「きかい」でした。そのお題の縛りが解けた今、この作品の本当の姿をいつか完成させてみたいと思っています。よろしければ、楽しみにしてやってください。 |
(初出:2008年3月2日 第5回東方SSこんぺ 全62作品中38位) |