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【通りゃんせ】




 思えば随分と怖いもの知らずな少年時代だったね。
山に洞窟ありと聞けば片端から松明片手に突入したものだったし、
河に沢蟹を見つけたと友達の言葉に、服のまま流れに飛び込んだりもした。
ずぶ濡れになって帰って、母に大層怒られたことを昨日のように覚えてるよ。
 まあ何かに付けて、ぼくは随分と無茶な遊びに手を出しては、母を困らせていたもんだった。
餓鬼大将って言うのかなあ、今はこんな言い方をしないのかもしれないけれど。

思えばアレも、そんな日々に友達から聞いた、遊びの一つだったんだ。











 裏山の森の中に、ゆうべヒトダマが出たんだ――
なぜか嬉しそうな顔でぼくにそう話してくれたのは、近所でも一番の仲良しのやつだった。
ぼくはでも、すぐには信じなくてね。野につけ山につけ色んなものを相手にして遊んできたけど、
どうもそういうおばけ話だけは、あんまり信じられなかった。
ヒトダマなんてのもどうせ、お月様に光った葉っぱか狸の目ん玉くらいだろうっていつも思ってたんだ。
だからそのときもぼくは、友達にそう言って返したんだ。おまえの見違いだ、って。
だけどあいつは随分とこわい顔で、にこりともせずにぼくを怒鳴った。
目ん玉なんかじゃねえ! ってね。

 驚いたぼくを見て、あいつは楽しげに笑ってね。詳しいことを教えてくれたんだ。
夜に風呂の薪を割っていたあいつは、ふとした拍子に、裏山の森の奥が光ってるのを見つけたんだと。
そりゃあびっくらこいた。あんまりびっくらこきすぎて腰を抜かして薪を足に落とし、しこたま痛がったんだと。
ひとしきり痛がった後で、そんでもまだ山は光ってやがる。ってなもんで、足が治まるとあいつは立ち上がった。
光の正体をば探らんと、その薪を手に、森に入っていったってもんだよ。
なあに、あいつも随分と無茶で腕白なやつだったからねえ。
 ところが森に入ると、その光は影も形も無くなっていたんだ、不思議だろ……と、それがあいつの話だった。
そりゃ光なんだから影も形も元からあるまいと笑い飛ばしても、あいつは笑いもしなかった。
真剣そのもの、ってやつだ。

 その顔を見ても、それでもぼくはやっぱり信じられなかったんだ。
死んだ人間の霊だかしらんが、死んだ人間がそう簡単に戻ってこれるわけ無えだろって、あいつに言ってやった。
あいつはそんでも随分しつこく食い下がったから、お盆はまだ随分先だぜって念を押してやったんだ。
そしたらあいつ、ふーん、とかって鼻を鳴らしやがる。

何なんだと不思議に思ってたら、あいつぼくに何て言ったと思う?




   「もしかしておめえ、怖えのか?」



 って。

 子供ってのは素直で無鉄砲で、バカにされるとムキになっちまうもんでね。
特にぼくはその気質が強くって、ふざけんなって怒鳴って、あいつの頭に拳骨を振り上げたんだ。
そしたらば、「じゃあ一緒に行こうじゃんか」ってあいつが言うじゃない。
おう望むところよ! って、ぼくはすぐに請合ったさ。このままじゃナメられたみたいで、寝覚めが悪いってんでね。
ほんとうに単純なもんさ、餓鬼なんてものは。

 そんで、夕方にあいつの家で落ち合うってことにしてその場は別れてさ。
そうやって、あの話は出来上がったんだ。










-----

 いやあ、いざあいつの家の庭に来て、最初に見たときは目を疑ったよ。本当に、森の中が煌々と光ってやがるの。
どんなでっかいお月さんだって目ん玉だって、あんなに光りゃしねえやってくらいにね。
ぼくの横で、あいつも驚いてた。昨ん日よりよく光ってやがる、って。

 ぼくはおばけを信じなかったから、どんな妙ちきりんな光だって怖くはなかった。
いやいや、強がりなんかじゃないさ。これは本音だ、本当にそれまで、怖がったことなんて無かったんだ。
そんでもってあいつも腕白で、ついでに肝試しも好きなやつだったから、二人あっという間に勇んで
森ん中に駆け出したって、ちっとも不思議でもなかったんだな。
 だけど、ぼくらは足が踏み出せなかった。で、あいつも歩き出そうとしなかった。
どっちかが歩いたら、自分が歩き出すつもりでね。どっちもが、相手が先に動くのを待ってたのさ。
デカいこと言ってていざってなると臆病風に吹かれちまうんだから、子供ってのは面白いもんさ。
意地張り見栄張り空威張りってのは、餓鬼大将の名刺みたいなもんだったねえ。
 まあそんくらい、その光は異常だったんだ。とてもじゃないがこの世のモンには、見えなかったね。
いっぱしの餓鬼大将が2匹ぶるっちまうんだから、そりゃあ大層な光だった。

 二人して押し黙って、しばらくそのまんまぼうっとして、そんでも空元気絞って
やっとどっちからともなく歩き出したときには、いい加減お天道様も落っこちちまっててね。
それこそ化け物でも出てきそうな黄昏時になっていた。
もたもたやってたら、余計怖いことになっちまったってわけでさ、バカなもんだよまったく。
 でも、行けども行けどもその光の場所は見えてきやしなかった。もともと光だけ見て森の中に入ってるから、
どの辺にあるかなんてハナっから知りゃしなくてね。無鉄砲だったねえ本当に。
で、周りはどんどん薄暗くなっちまうし、見たこと無いほど奥深くまで入っちまってるしで、
流石のぼくも考え始めた、引き返したほうがいいんじゃねえゥって。
 ぼくは言い出そうかと迷ってた。きっとあいつも迷ってたに違いない。
だけど例によって見栄張ってさ、どっちも結局言い出せなくてね。んでまた悪いことに周りが暗いから
ぼんやりあの光が見えてきちまうんだね。そんで光の薄ら輝く方めがけて、どんどん歩いて行っちまった。
それからまた随分と歩いて歩いて、いい加減お日さんの光が無くなっちまうって頃になって、
やっとぼくらは、光の場所にたどり着いたんだ。

 光の正体は神か化け物かってんで、随分道すがらお互い好きなこと言ってたんだが、
いざ目の前に現れたんは光だけだった。いや、本当に光だけだったんだ。
光だけが領巾のように煙のように、ゆらゆらゆらゆら揺らめいてやんの。
 なんだいこりゃ、って顔を見合わせたときの、あいつの間の抜けた顔は今も忘れちゃいねえ。
ぼくもおんなじ顔をしてただろうな、たぶん。

 あんまり不思議だから、ぼくたちはその光に、いろいろやってみた。
枝でつついてみたが、光はふらふら揺れたまま。石を投げつけてみても、なんにも起こらねえ。
そんじゃ反対から投げてみろってんであいつに裏から石を投げさせたが、やっぱり光すり抜けて石は飛んできた。
ついでにその石がぼくの脛に当たったりしてねえ、痛かったよ。
 
 まあそんなわけで、何をやってもその光はゆらゆら揺れるだけだった。まるで、手招きするみたいにね。
それでそう思ったって訳でも無いんだが、ぼくはおぼろげに感じてたんだ。
こいつぁもしかして、何かの入り口なんじゃないか、ってね。
 そんで横見たら、あいつが面白いことやってるわけよ。
光の中に、腕突っ込んだり足突っ込んだり。そんで終いにゃ首まで突っ込みかけて、でもそれはやめて。
何のことは無い、あいつもぼくと同じこと考えたのさ。くぐったら、どっかに行けるんじゃねえかってね。
どいつもこいつも、考えるこたあ似たようなもんだ。

 そしたらあいつと目が合った。
あいつはニヤッとしてさ、ぼくにこう言った。
入ってみねえか、って。


 ――入るっておめえ、どこに?
 ――この光の中にだよ。
 ――バカ、おめえこれが玄関に見えっか?
 ――こりゃきっとさ、神様か妖怪か何かの玄関だ
 ――バーカおめえ妖怪の玄関が何で人間に見えんだよ
 ――間抜けな妖怪が仕舞い忘れたんだよ
 ――仕舞い忘れたっておめえよ、畑耕す鍬じゃねえんだぞ。アタマ大丈夫か?
 ――俺のアタマはいつだって大丈夫よ。この先はさ、ひょっとすると魑魅魍魎の世界かもしれねえぞ、おい 


 子供ってのはいろんなこと考えるもんでさ。
散々バカなことを言い合った挙句、二人でニヤニヤ笑ってさ。
 そんで手ぇ突っ込んでみろってあいつが言うから、ぼくも突っ込んでみた。
痛くもかゆくも、熱くも冷たくもねえ。普通に森ん中立って、まんま宙に腕を突き出したのとおんなじだ。
 足突っ込んでみろって言われて、片足も突っ込んでみた。やっぱり何ともねえ。
そんで片足立ちしてたらおっとっとなんてよろけてさ、したらばうっかり光ん中に倒れ込みそうになって、
慌てて飛び退いたりなんかしてさ。
やっぱり怖えんだなってまたあいつが笑って、ぼくがまた拳骨一発返して。

 子供ってのは不思議だなあ、絶対におかしなモンが目の前に現れても、
一刻後にはコロッと無意識に信じちまってるんだ。
まして同じモン見てる奴がもう一人横にいるとよ、なんだか安心しちまうのかなあ、
最初の恐怖なんてのは、どっか消えちまうモンなんだなあ。

 でもそれは、明るい内だけだった。
そんな風にお戯れしてたら、あっというまにお月さんが頭ん上にのぼっちゃっててさ。
気づいたら森ん中もう真っ暗で、光があるぼくたちの周りだけ明るいんだ。
 ぼくらの勇気ってのは所詮、子供の勇気さ。蛮勇ってもんで、お日さんと一緒に沈んじまうんだな。
暗くなってくると途端に、それまでの勢いどこへやら、ってやつでね。


    行けよ。入れよ。行きなよ。お前こそ。


 もう自尊もなにもあったモンじゃない。ぼくたち口々に、お互い押し付けあってねえ。
そしたら、不意にあいつがこんな風に言ったんだ。




    通りやんせ。




 って。

 何だ変な言い方しやがってこの野郎、って、ぼくも面白がって真似して言い返してね。




    通りやんせ。通りやんせ。光の中を、通りやんせ。



 ぼくたちは口々に、お互いにそう言いあった。
空威張りなんてどこへやらさ。お互い怖がってると知ったら、もう譲り合いだ。

 いい加減飽きるくらいぼくたちは言い合って、そんであれこれ考えを出し合った。
それで結局、もう日が落ちて暗いから危ねえ、また明日にしようぜってことで落ち着いた。
 笑っちゃうだろう、そこまで行っておいて結局何にもせずに帰ろうってんだからさあ。
日が落ちたから危ねえなんて、変な所で理屈こねちゃってさ。
ほんと、可愛い子供だったよ、あの頃はまったく。





 だけどね。
ぼくにはそのとき、一つ考えがあったのさ。






 




-----

 その晩、ぼくは光のことをじいちゃんに話したんだ。 
じいちゃんは村ん中でも物知りってんで名が通っててね、しかもぼくと同じように子供の頃は餓鬼大将で、
山ん中駆け回って遊んでたっていうんだ。
 そんなじいちゃんなら何か知ってんじゃないかって、ぼくはそのことを、詳しくじいちゃんに話したんだよ。
そしたらじいちゃん、怖い顔で言ったんだ。


  ――おめえ、その光の中に入ったのか。


 ぼくは、ありのままを話した。


  ――入ってねえ。怖くって、おれ逃げてきちまった
  ――そんで良い。あの光ん中は、入っちゃいけねえ
  ――やっぱりじいちゃん知ってるんだね、あの光のこと。やっぱ、何かの入り口なんだね!
  ――知らんよ。ワシは知らん
  ――嘘、じいちゃん知ってる。危ねえところなのか、あそこは
  ――誰も知らん。あの光の中がどうなってるのか、誰も知らん


 じいちゃんはそれだけ言って、あとは何にも教えてくれなかった。
何を聞いても、生返事ばっかりで。

 ぼくは、子供心ながらに確信したね。じいちゃんは、絶対に何かを知っているって。
そんで、危ねえ所なのか聞いても、そうだとは言わなかった。ってことは、少なくとも危なくねえんだなって。
危ねえなら危ねえって言うだろう、そう言わねえってことは……って、子供ながらに推理してね。
そんで、ぼくの腹は決まった。

 ぼくは、先にあの光の場所に一人で行くことにしたんだ。
怖くねえって分かったらあとは決まったようなもんさ。先に行って、秘密の場所を見てきてやる、
そんであいつに自慢してやろうって。一人であの光ん中、俺は旅してきたぜってんで。
あいつを出し抜いてやろうと思ったわけよ。餓鬼大将らしい考えだろう。

 そんでそんな風に腹を決めて、そんじゃあそれに備えて寝るかって、ぼくは床に向かった。
じいちゃんありがとう、って一言声をかけてね。

 ところがじいちゃん、ぼくの腕を掴んでね。怖い顔でにらんで、最後にぼくに言った。



  ――いいか、絶対に行くんじゃないぞ。何が起こっても、わしは知らんからな



 って。

 それは怖い顔だった。
だけど、ぼくにはそれはもう、脅かしているようにしか見えなくてね。気にはしなかった。
あいつに見栄張ってやろうって気持ちも勝っちまってたし、もうじいちゃんが止めるのを聞くつもりも無かった。
 分かったよ、って口だけ繕って、ぼくは布団に飛び込んだんだ。
やんちゃな子供らしく、明日ぼくの武勇伝を聞いて驚く、あいつの顔を想像してニヤけながらね。



 今から思えば、本当に無鉄砲だったよ。
 まっさかあんな目にあうなんて、思いもしてなかったからなあ。
 










-----

 翌日、ぼくは畑仕事の手伝いをサボって、あいつの家の裏山に走っていった。真昼間にさ。
あいつは夕方しか光は現れねえって言ってたけど、ぼくは一つ、知恵を絞って考えてたのさ。
 光が「見える」ってのはさ、周りが暗いから見えるってだけなんだ。
周りが明るけりゃそりゃあ見えねえ。けれど、光はちゃんとそこにあるはずだ、とぼくはそう考えたんだ。
あいつはきっとそんなこと考え付きやしないと思ってたし、まあ実際考えてなかったみたいだ。
同じ肥溜めに3回も落ちるくらい頭ん中カラッポな奴だったから、その辺の知恵回らんかったんだろなあ、ハハ。

 ぼくは走って走って、あの光の場所を目指した。きっと昼間にもあるだろうと信じて。
自分の考えが合ってる事を願って、あいつに自慢するところを想像しながらね。
 洞窟探検にしても肝試しにしてもそうだけどさ、訳のわかんねえ、誰も怖がって近づかねえモンに
最初に挑んでいくってのは、餓鬼大将の見せ所な訳よ。
そりゃあ出し抜くことになるあいつには悪いと思ってたけど、それはそれ、ぼくの勇気と知恵のほうが
勝ったんだって自分に言い聞かせてね。嬉しくて嬉しくて、ぼくは勇んであの場所まで走って行った。
そしてちょうどお天道様がお空のまん真上に来る頃に、ぼくはあの場所にたどり着いたんだ。

 ぼくの考えは、まあ当たってた。
お日さんの光で見にくいけど、前の日にあいつと二人見たままのその場所に、その光はちゃあんと揺れてたよ。
手招きするみたいにゆ〜らゆらって、あいつと見たのと同じように。
 二人だと心強いってゆうか、そういう感じで昨日は何とも思わなかったのにさ、
いざぼく一人で光の前に立つってえと、また臆病風がぶり返してくるんだな。
あんなに前の夜布団の中で、あいつの悔しそうな顔を想像してにんまりしてたっていうのにさ。
 もうさ、どんどん心配になってくるわけよ。
どこへ繋がるかもわかんねえ入り口だぜ、下手すれば入り口でもなんでもないかもしれねえぜって。
じいちゃんの言葉を裏読みして危ない訳無えって、あん時は簡単に信じ込めたんだけどねえ。

 しばらくそこで迷った。
ゆらゆら揺れる光の幕に、じぃーっと目を凝らしながらね。
素直に夕方あいつと行ける時間まで待つか、それとも今勇気を振り絞って行ってやるべきか。
恐怖心と功名心と、ぼくのなかで二つの心がけんかしてた。
ぼくの足も、一歩二歩進んでは戻って、進んでは戻って。
何十分もそこでそんなことをしてただろうなあ。

 そん時だった。ふうっと、光がちょっと強く揺れたのさ。
風も無いのに……いや、風は関係ないか、何にもしてねえのに、ふうっと、ほんの一瞬ね。
そうだな、もしそれが妖怪世界の入り口ってんなら、それこそ目に見えねえ化け物が通ったような感じだった。
玄関の暖簾が揺れるみたいに、誰かが通り過ぎたようなね。

 何度も言うけど、子供って単純じゃない? だからさ、たったそんだけでぼくは信じ込んじゃったのさ。
今のは、何かが通り過ぎたんだ。やっぱりこいつは、違う世界への入り口に違いねえ、ってね。
 そんで、ぼくは心を決めた。ようし、入ってやる! ってね。
じいちゃんが止めなかったんだから、危ねえ世界じゃねえだろ、って思って。

 ぼくは光の前に向き直った。
光が目の前で、ゆらゆらゆらゆら。
ぼくの心もまたそれにあわせて、ゆらゆらゆらゆら。
またしても絵に描いたように二の足を踏んでたらば、そのときに。
あのせりふが、ぼくの心に聞こえた気がしたんだ。


   「通りゃんせ」


 ってね。
 それが本当に、最後の一押しになった。

 ぼくは息を止めて、目を閉じて、その光の中に。
ぽおんと跳ねだすように、飛び込んだのさ。












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 閉じた目は、しばらく開けなかったなあ。
だって、何があるか分かんないんだもの。目の前に神様の楽園があるかもしれない、
もしかしたら人喰い妖怪が目の前に立ってるかもしれない。
そう思うと、怖くって怖くって。

 そんでも、勇気を振り絞って、そっと、少しずつぼくは目を開いてみた。
そしたら、驚いたさ。



 周りには、そりゃもう見事なまでに何にも見えなかったんだ。
一面霧の海みたいでさ、あの光と同じ、真っ白な光に包まれててね。
白い雲の中にぼく一人だけが立っているような、そんな感じだった。
ああもちろん、間違ってもそれまで立ってた森の木々なんて、一本たりとも見えてやしなかったよ。

 なんとなくひんやりとするような空気でね、ぼくは思った。
ああ、ここはもうきっと違う世界なんだなあって。
 一面真っ白で、右も左も分かりゃしなかったんだけど、首を後ろに向ければ、
ぼくの後ろにはさっきまでの森の景色がぼんやり浮かんで見えてた。
ぼくが入ってきた、その場所が。

 そんでぼくは、ゆっくり歩き始めたんだ。
まっすぐ進んでたのかなあ、曲がりながら進んでたのかなあ。それさえも分からなかったけど、
何十歩か歩いているうち、目の前にまた、少しだけ景色が見えた。
真っ白な世界ん中、まるで壁の小窓みたいに、そこだけぽっかりと違う景色が浮かんでたんだ。

 それを見て、ぼくはこう考えたんだ。つまりここは、どこか違う場所へ繋がる通路なんじゃないか、ってね。
そんでその「どこか」ってのが、目の前にぽつんと浮かぶ、あそこなんじゃないか、って。



 そんで、ぼくは駆け出した。出口見っけ! って。
 そして、出口を目の前にして、深呼吸を一つした。

 入った時とおんなじように……深く息を吸ったところで息を止めて、それから目を閉じて。
 えいや!ってぼくは、光の世界から飛び出したんだ。








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 そこは、また森だった。
薄暗い森だった。

 ぼくはてっきり、なんだ結局元の場所に戻ってきちまったのか、って思った。
だけどすぐに分かった。そこは、ぼくがさっきまで立っていた森じゃないってこと。
別に木の種類だとか、そういうものを覚えていたわけじゃないんだけどさ、
野を遊びまわっている子供からすれば、小さな地形とかで、森の雰囲気ってのはすぐに分かるんだ。
そこは、あいつの家の裏山なんかじゃなかった。

 ぼくが立っていたのは、一本の細い道だった。いや、道みたいなもの、かな。
だあれも居ない、なあんにも無い森の中に、そこだけ草が生えてない場所が一本線、
まっすぐ向こうに伸びてたんだよ。
見たことも無い森でどこに行くわけにもいかず、ひとまずぼくは、その「道」に沿って歩き出したんだ。

 いやあ、今でも鮮明に思い出せるよ、あの森のことは。
ぼくの周りを囲む木も、岩に生す苔も、木の根っこを覆うきのこも、なんにも特別なことは無い。
どれもこれも、ごくごく普通だった。景色は何一つ、ぼくらの世界と変わっちゃいねえ。
 なのにどうしてだろう、絶対にぼくらの世界とは違う空気だったんだな。
言葉で説明は出来ないけど、むず痒いような痺れるような、居心地の悪うい空気だった。
神社の境内なんかってさ、どことなく空気が違ったりするじゃない? あんな感じだった。
ここは人間の世界じゃないんだ……って、ぼくは薄々感じてたね。

 この世界は、もうぼくたちの住んでいた世界じゃない。ぼくは子供心に、そう確信した。
笑っちまうだろう、おばけを信じなかったはずのぼくが、雰囲気だけであっさり簡単に信じちゃったんだから。

 怖かった。
ああ、正直に言うよ。森の中、細い道を一人で歩いて。
本当に心細かったよ。

 だから、ぼくはあの言葉を呟いてた。
通りゃんせ、通りゃんせ……って。



   通りゃんせ、通りゃんせ。 ここはどこの細道じゃ……?

   通りゃんせ、通りゃんせ。 ここはどこの細道じゃ……?

   天神様の、細道じゃ……。



 道は長かった。行けども行けども森の中に道は伸びて、果ては見えてこなかった。
そんでもぼくは歩いたさ。だって、今更ケツまくって帰るわけにも行かなかったしねえ。
歩いて歩いて、どれくらい歩いたかなあ。
不意に目の前がぱあっと明るくなって、視界が開けたんだ。

 ああやっと森の出口だ、って思った。
森を抜けたら何があるんだろうって、ずっと楽しみにして歩いてきて。
やっとそれが、目の前に現れた。

 やっと、この世界が見られる。不思議の世界と、ご対面だ。
ぼくははやる気持ちを抑えきれず、走った。

 ぼくの周りを囲んでいた木、その最後の一本が、視界の後ろに飛んでいった瞬間。
ぼくの眼に、飛び込んできたもの。









         それは、大っきな大っきな鳥居だった。
         血みたいに赤あい赤あい、だけどちょっと古びた、大鳥居だった。










 ぞくっとした、っていう言い方があれほど似合ったのは、後にも先にも無いなあ。
人気も何にも無い深い森を抜けたら、その場所に現れた、真っ赤な大鳥居。
何とも言えぬ雰囲気だった。思わず鳥肌が立った。

 鳥居の額束には、何かが記してあった。きっとそこに、神社の名前が記してあったんだろう。
残念ながらその頃は、子供が字ぃ学んだりなんてことはしなかったから、読めはしなかった。
しかも、随分汚れてて、どのみち最初の文字しか見えなかったんだ。
 ちなみに今なら分かるが、それは『博』だったんだ。
それはつまり、博なんとか神社、だったんだな。

 恐る恐るその鳥居をくぐると、また少し空気が変わったのを覚えてる。
でこぼこの道が、妙に頼りなくてねえ。何度も転びそうになりながら、ぼくはもう少し鳥居の奥へ歩いていった。
小さな小川があって、不恰好な石をごろごろ積んだだけの、でこぼこな石階段があって。
その階段を上ったらたばさ、見えてきたんだ、建物が。





       小さな小さな、神社だった。






 そん時は、そこが神様の世界だろうと人間の世界だろうとどっちでも良かった。そんなことは忘れてた。
こんな深い山の中に神社が建ってたってことだけで、ぼくはもう何も考えられなかったよ。
 きっと遠い昔に、使われなくなったんだ。そして、森に呑み込まれたんだろう。
そして山の中に取り残された、小さな社と不気味に赤い大鳥居。
その景色だけでぼくは、もうなんとも不気味で、怖くって、恐ろしくって。

 怖くなったせいで、ぼくの探検心はいい加減萎えちゃってね。
もう良いか、帰ろうかなって、結局ぼくはそう決めて、回れ右をした。
元来た道を、元来た通りに……さっきくぐった鳥居のほうへ、ぼくは歩き出したんだ。



 そのときだった。
背筋が凍ったのは。



 耳に聞こえる音は、葉の擦れ合う音だけのはずだった。
だけど一瞬、自然の音に混じってぼくは確かに、異質の音を聞いた気がしたんだ。
風の音とは違う、落ち葉を踏みしめるような、「生き物の動く音」をね。





 恐る恐る、ぼくはそうっと……
 ゆっくりゆっくり、後ろを振り向いた。
 そしたら……











       そこに、誰かが立ってたんだ。










 時が止まったみたいだった。いや、実際止まったんじゃないかとさえ思った。
ちょうど影になって、男か女かも分かんなかったけど、間違いなくそこに、一人の人間……
いやまあ、人間に見える誰かが立って、こっちを見ていたんだ。

 からすの鳴き声がギャアと、一つ大きく響いてね。強い風が、さあっと吹き抜けていった。
身動き一つしないまま立ち尽くすぼくと、おそらくはじっとこちらを見ているであろう向こうの人影と。 
二つの影は、そのまましばらくじっと見つめ合ってたんだ。
 ぼくは思わず、頬をつねったさ。夢か現か今見るものは、ってんでさあ。
だってそうだろう? わけの分かんない光ん中を通って、不思議な森の小路を抜けて、
そしたら気味の悪い神社があって、そんでもってそこに人影がいたんだ。
そりゃあもう、完全に不思議世界だよ。夢か幻か、そう思わねえ方がおかしいってもんだった。

 だけど、頬っぺたは痛かったよ。
紛れも無く、ぼくが見ているものは現実だったんだ。

 誰あれも居ないと思ってた古神社に、誰かが居た。
風が止んで静かになってきて、そんなことを考えて、ぼくは少しずつ、怖くなってきてねえ。
膝が小さく、がくがく震えてた。
 そんでも見ちまったからには仕方ねえって思った。
目の前の人影が何か確かめるまでは何があっても帰るもんかって、ぼくはそう覚悟を決めてね。
餓鬼大将の最後の砦、譲れない沽券って奴でさ、ぼくは必死で勇気を絞った。
手に変な汗をかいて、そんでもそれをぎゅっと握って。震える膝を、必死で誤魔化して。

 ぼくは、一歩前に進んだ。人影は、微動だにしない。
 ぼくは、もう一歩前に進んだ。やっぱり人影は、動かなかった。

 そんで……そんならって、ぼくがもう一歩、前に進もうとした時――








        「誰ぞ!!!」








 人影が、怒鳴った。




        ―――― !!! 





 ぼくは、逃げた。なんにも言わずに、飛び上がるようにその場から逃げたよ。
もう足がもつれるほどに、必死で逃げた。
捕まったら自分は殺される、そう思ったね。

 石階段を飛び降り、鳥居をくぐって。
あの長い細道を、そりゃあもう必死で必死で走り抜けたよ。
長い長い小路を、それでも止まらずに全力で走り抜けて、眼に入ったさっきの光の扉に遮二無二飛び込んださ。
 そんでその光の中もあっという間に走り抜けて、元の森に戻ってきて、それでもぼくは走り続けた。
あの人影が、追いかけてきてやしないか……そう思うと怖くて怖くて、後ろを振り向かずに必死で走った。
息を切らして、何度も転びそうになりながら、そんでも走って走って。
結局ぼくは走りっぱなしで休みもせずに、とうとう自分の家の庭まで帰ってきちまった。

 のどが破れるんじゃねえかってくらい息切らして、そんでも何とか胸ぇ落ち着けて、
ようやく後ろを振り返ったら……結局、誰も追いかけてきてやしなかった。 
まあ、当たり前さね。

 そこでようやく、ああぼくは助かったんだなあ……って安心したよ。
もうね、あんなに怖い思いをしたことは無かったね。
どんな真っ暗な洞窟だって、どんな高い木の枝の上だって目じゃねえよ。
何せさ、違う世界に行って、見知らぬ奴に見つかって、油断したらいきなり怒鳴られたんだから。
 いや本当に、ぼくは殺されると思ったよ。
餓鬼大将の見栄も何も、そうなっちゃあ最早あったもんじゃないさ。

 そんで、ああ、やっと助かったんだな……って、息を整えながら顔を上げたらば、
そこに、じいちゃんがいた。
じいちゃんは、前の夜よりもいっそう怖い顔で、ぜえぜえ息するぼくを見てた。
そんで、


    ――あそこに行ったのか


って一言だけぼくに呟いてきた。

 蒼い顔で息切らしてて、ぼくは誤魔化せるわけも無くってさ。
結局、うん、と頷くしかなくって。
そしたらじいちゃん、とことこぼくの方に近づいてきてね。正直、ああ拳骨だなって、覚悟したさ。
歯ぁ食いしばって、目ぇ瞑って。
 じいちゃんの足音が聞こえて、ぼくの前で止まる。いっそう、歯に力を込めてぼくは、拳骨に備えた。
なのに、いつまでたっても、拳骨は落ちてこないんだ。あれおかしいなって、ぼくは恐る恐る目を開けた。
そしたら、じいちゃんの顔、怖えのは怖えんだけど、何だろう、ちょっとだけ……嬉しそうでさ。
そんで、咳払いをひとつしてから、


    ――バカ野郎 


たった一言だけ、そう言ったんだ。ぼくには、ちっとも訳が分からなかった。
でじいちゃんはそのまま、ふらふらとどっかに歩いて行っちゃった。
もう全然、意味が分かんなかったよ。

うん、分からなかったよ。
あの時は、ね。
そう、あん時はまだ、子供だったから――。







    それが、ぼくの一番、怖かった日のお話。











-----

 その後結局、ぼくはあいつとの待ち合わせ場所には行かなかった。布団被って、夕方には寝ちまった。
疲れてたのもあるけど、何より、もう二度とあんなトコ行きたくなかったしな、ハハ。
あいつに会ったら会ったで、また見栄張ってもう一度行く羽目になりそうだったから。

 それから二日して、ぼくは村の道で偶然あいつに逢った。
どきっ、としたね。何しろあいつからすれば、あの日現れなかったぼくを三日ぶりに見つけたんだから。
きっとあいつはぼくを詰るだろう、約束を破ったぼくを問い質すだろう……ぼくは、そう思った。
そのための言い訳も幾つか考えてたから、よし、ってなもんでぼくはその時覚悟を決めたんだ。
 ところがあいつ、詰るどころか何にも言い出さなかった。よお元気か、またどっか探検行こうぜ、とか。
あの日の約束のこと、何にも言わなくてさ。もちろんぼくからは何にも言い出さず、結局そのまま別れちまったんだ。
じゃあな、って一言言って、ぼくはこっちへ、あいつはあっちへ歩き始めた。
二、三歩行ったところでぼくは堪らず振り返って、あいつを見た。けれど、あいつは立ち止まりもせず、
とことことことこ、そのまんま歩いて行っちゃったんだ。
 
 あいつがあんな態度を取った訳は、結局今でも分からねえんだ。
だけど今考えれば、きっとあいつにも何かあったんだろうなあ、ぼくに約束のことを触れられたくない理由が。
実はあいつも怖くて約束を破ってたのか、あるいはぼくと同じように一人で行って、そんでおんなじように
あの人に脅かされて、ケツ捲って帰ってきたのか。

 おおかたそんなところだろう。
「あの女」の声は、本当に怖かったからなあ。




 ……ああ、そうなんだ。あの時「誰ぞ!」って叫んだ声。
たった一言だったけど、あれは紛れもねえ、女の声だった。
鈴を転がすような、だけど凛とした声。
 そしてあの格好……逃げ出すときに一瞬だけ光が差していた、あの人影の装束。
あれはたぶん……巫女さんの格好だったように見えたんだよ。
 まあ神社だから、巫女さんの一人や二人居たっておかしくないんだがな。
あんな山奥の神社で出くわせば、それこそ山姥か何かとおんなじだよ、まったく。ハハハ。










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 ぼくはそれっきり、あまり探検ってものをしなくなっちゃった。
結局ぼくは臆病者だったんだねえ、あれからどうも、知らねえ場所に行こうって気がどうにも起こらなくなっちまった。
まあその後もあいつとは、時々一緒に遊んでは、馬鹿なことをやってたモンだったけどね。
やっぱり餓鬼大将ってのは、空威張りで出来てたんだろうなあ。

 何かを知ってる風だったじいちゃんも、ほどなくして病気で死んじまってね。
あの世界のことを結局何にも分からないまま、ぼくはいつしか大人になっていった。
あいつともそう会わなくなって……探検どころか、遊ぶこともすっかり無くなっちまってた。
まあ、いわば「普通に」大人になったってトコかな。

 そんなある日、ぼくは家の蔵の掃除を親に命じられてね、要らないがらくたを選り分けてたんだ。
置いてある木箱を片っ端っから引っ繰り返して中身をあらためてたんだけど、
ある箱の中から、ぼくは妙な紙の束を見つけたんだ。
 その時選り分けてたがらくたってのは、主にじいちゃんのものが入れてあった箱でね。
きっとじいちゃんの持ち物だったモンだろうって思って、ぼくはそれを大事に開いてみた。

 そしたらそれは、絵だったんだよ。
じいちゃんは生きてる頃、よく山ん中から山葡萄や蛇苺や、いろんな色の木の実を集めてきては
それ使って絵の具作って、絵ぇ描くのが得意だった。
ぼくも何度かそれを見たことがあったから、きっとこれはじいちゃんの絵だろうって、すぐに思ってね。
 ぱらぱらめくってみたら、どれもこれも綺麗だったさ。
庭の柿の木に実が生ったところとか、菜の花が咲く頃の小川とか、青々とした山並みに抜けるような空だとか。
子供の頃はちっとも知らなかったけど、じいちゃんすごく上手だったんだなあって。ぼくは思わず見入っちゃってた。

 家の周りの自然が、何枚も何枚も、鮮やかな色で描かれててねえ。
一枚ずつじっくり眺めながら、ぼくは時を忘れて楽しんでた。
そして、最後の一枚をめくったとき……

 ぼくは、息を呑んだ。








        そこには、あの日の景色が――。








 最後の一枚の絵。それは、神社の絵だった。
真っ赤な鳥居に、不揃いの石が積まれた石階段。そして、小さなお社。
紛れもなくそれはぼくがあの日見た、あの森の神社だったんだ。

 やっぱりじいちゃんは知ってたんだって、ぼくは思った。
というか、やっぱり行ったことがあったんだなって。
それでその絵をじっくり見て、ぼくは自分の記憶と照らし合わせてた。
 ちょっと古びた鳥居も、小さなお社も、何よりあのちょっと不思議な空気を湛えた森も、
そして――巫女さんの姿も。
何もかもが、ぼくの記憶と一緒だった。本当に忠実に描かれてた。
じいちゃん、本当に上手かったんだろうな。

 だけど、じっくり見てる内に、ぼくはちょっとだけ、ぼくの思い出と違う気がした。
少し考えて、ほどなく答えは分かった。それはね、巫女さんの姿だったんだ。
 白い装束に、真っ赤な袴。長い玉串と、揺れる白い幣。
ふわりと広がる、腰まで届く長い髪。
確かに絵の中のそれは、綺麗な巫女さんだった。

 ぼくは衣装や髪まで覚えてなかったから、絵ん中でどんな格好してたって不思議には思わなかっただろうね。
ぼくの記憶の巫女さんの特徴はたった一つ、怖かったことだけ。そこが違ってたから、ぼくは違和感を感じたんだ。
絵の中の巫女さんはさ、すごく柔らかく……笑ってたんだな。

 ぼくが怖がって逃げたのは、こんな優しい人じゃないって思ったね。
じゃあ違う人なのかな? いや違う、この絵の神社に佇んでるこの巫女さんは、絶対にぼくが見たあの人だ。
でもそれじゃあおかしいじゃないか、怖い人なのか、優しい人なのか、どっちなんだ、って、ぼくは考えた。
ああ、答えはあっという間に出たさ。

 ぼくが見た巫女さんも、本物で。
じいちゃんが描いた巫女さんも、本物で。



 間違ってたのは、あれが怖い奴だと決め付けた、子供の頃のぼくだったんじゃないかって――





 



 ぼくは、無意識に蔵を飛び出してた。
そして、走ってた。どこへって、あの場所へ。
あの日違う世界に迷い込んだ、あいつの家の裏山の、光が揺れてた場所へ。

 どうして急にそこに行こうと思ったのか、実は上手く自分でも説明出来ないんだ。
今更その人に謝ろうとかって思ったわけじゃないし、もう一度会って正体を確かめようなんて野暮な気持ちも無かったさ。
 ただ、どうしてだろう、もう一度あの世界に行きたい、って、その時強く思ってね。
で、もし行くなら今しかない、って思った。ほとんど直感で。だから走ったんだ。
今を逃したら、二度とあの世界には行けなくなる……そう感じて。

 行かなければ、あの記憶が――
夢のようだった現実が、結局夢になってしまいそうで――

 ぼくは、必死で走ってあの場所へ行った。
そうあの日、巫女の声から逃げ帰ってきたあの時と同じ道を、同じように全力で。
だけど、あの時とは逆向きに。想いもまた、正反対に。
 あいつの家の横を通り抜けて、山道を駆け抜けて。
すっかり草が生い茂ってしまって獣道のようになってしまった道を、やっぱり何度も転びそうになりながら、
ぼくはあの場所まで、一度も止まることなく走り抜けたよ。
息を切らしながら、そしてぼくは、忘れもしないあの場所にたどり着いたんだ。






        ――……!!






 だけどそこに、光は無かった。
 ぼくたちがあの日見たあの場所に、あの光はもう、揺れてはなかった。



 まあ、仕方ない話さ。子供の頃遊んでから、ゆうに10年は過ぎていたから。
そんだけ経ちゃあ、色んなモンが変わっていくさ。
だけど、ぼくはなんだか哀しくてね。あの巫女さんが、手の届かない遠い世界に行ってしまったようで。
そしてぼく自身もまた、あの頃から、遠い世界に来てしまったようで。
 もう誰も、探検に誘ってくれる友達は居ない。
ぼくが冒険してわくわく出来る入り口も、わくわくする自分自身も、もうどこにも残ってないんだなって。
そう思ったら、どうにもこうにも哀しかったね。

 残念だったけど、それでも無い物は諦めなきゃ仕方が無い。
だけどその場所に立っていると、何とも懐かしくてねえ。
あの日あいつと遊んだその場所に、気づけばぼくは何年ぶりかに立ってたんだ。
 光の扉はもう無いけれど、あの日二人で光を探し当てた時の、あいつのぽかんと間の抜けた顔が、
昨日のことのように思い浮かんできてさ。
ぼくは思わず、呟いてた。








       通りゃんせ





 って。

 そしたらさ、風が少しだけ、強く吹いたんだ。







      通りゃんせ、通りゃんせ……。
      ここはどこの、細道じゃ……?






 また呟いたら、また少し、風が強く吹いた。


 ぼくはそれで、なんとなく分かったんだ。
ああ、きっとあの扉は、まだこの森のどっかにあるんだろうなって。
だけどきっと、ぼくの目にはもう、見えないんだろうなって。

 それでぼくは、元来た道を、また戻って行ったんだ。
もう二度とここに来ることはないんだろうなって、おぼろげに思いながらね……。















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 ぼくが死んで、何百年経つだろう。
あの光の扉は、だけどまだどっかにあるはずだと、ぼくは今でもそう思ってるよ。

 



 ぼくはその後の人生、ついぞ光の扉を見つけることは無かった。
歳をとるに連れて、いつしか少年時代の記憶は色褪せてさ、ひょっとしたらあの出来事は
まるまる夢だったんじゃないかって、ぼくは今でも思うことがあるんだ。
だけど、そのたびに思い直すんだよ。絶対にあれは、夢なんかじゃなかった、ってね。

 ぼくが爺々になっていくにつれて、周りには子供たちが集まるようになって来たんだ。
あちこちの洞窟とか河を遊び回ったぼくの体験話が、子供たちには大層面白かったみたいでねえ。
ぼくは毎日のように、沢山の子供を前にしては、少年時代の洞窟探検とかを沢山語って聞かせてたモンだ。

 そんなある日に、とある一人の子供がね、興奮しながらぼくの傍に来たんだ。
そう、いかにも餓鬼大将って感じの子供がね。

 ゆうべ、家の裏山が光ってたんだよ、じいちゃん!――
その子は目を輝かせてねえ、ぼくに必死で話してくれた。
必死が高じて、びっくりして薪を足の上に落としたんだなんて、そんなことまで話してくれたよ。
色褪せてた記憶が、あの時鮮やかになってまた脳裏に蘇ったのを覚えてる。

 目をきらきらさせるその子の前で、ぼくは悩んでね。
悩んで悩んで……それで、こう言ったんだ。



     ――あの光ん中には、入っちゃいけねえ。



 って。
その子は、とても不満そうだった。何があるのか、ぼくにしつこく聞いてきた。



     ――知らん。あの光ん中に何があるのか、誰も知らんのじゃ……



 ぼくは続けて、そう答えた。
その後、その子はぼくにあれこれ聞き出そうとしてきてね。だけど、それでもぼくは、ことごとくはぐらかした。
そんで最後に念押しで、「絶対に行くんじゃないぞ」と言ったぼくに、その子どうしたと思う?
「分かったよ、じいちゃん」って、そう言ったんだ。へへへなんて、いたずらっぽく笑いながらね。

 ああ、きっと、あの日じいちゃんと向き合ったぼくも、おんなじ顔をしてただろうなあ…
ぼくはそう思って、走り去っていくその子を見つめてたよ。

 その子に話してて、分かったんだ。あの時じいちゃんはぼくに、
教えたかったけど教えられなかったんだって。
 光の扉は、どんな洞窟よりも不思議で魅力的だったけど、ちっとばかし不思議すぎて危険だった。
どんなに素敵な冒険になると知っていても、楽しみを知ってても。
なんだかんだで大切な孫に、あの光の扉をすすんでくぐれとは、じいちゃん言えなかったんだろうなあ。



 だってぼくも結局、目を輝かせていた自分の孫に、行くなと言ってしまったんだからさ。
そんでもって、あくる日に真っ青な顔して帰ってきた彼を、やっぱり叱れなかったんだからさ。









 ぼくはねえ、子供にしか見えない世界ってのが、あると思うんだ。
子供ってのは常識が無いから、アタマで説明出来ねえモンでも、簡単に見えちまうんだ。
そんでもって何にも分からねえから、何でも知ろうと思って、突き進んでいくんだよなあ。
肝試しとか探検が大人になると楽しくなくなっちまうのはさ、洞窟ってものがなんなのか知っちまってるからなんだよ。
 あの光の扉はねえ、ほんとうは山にある洞窟と何にも変わりないのさ。
ある日入り口を見つけて、中が知りたくて、行ってみたらそこがちょっと変わった「洞窟」だっただけのことさ。

 ぼくが見た巫女さんと、じいちゃんがおそらくはその目で見て、描いた巫女さん。
あの二人が本当に同じ人だったのか、結局それは分からねえ。
じいちゃんが彼女を見たのが子供の頃なら、巫女さんだって代替わりしてただろうしなあ。

 ぼくは光の扉を、二度と見つけられなかった。だから、確かめられなかった。
あの世界の大事さに気付いたときには、ぼくはもう大人になっちまってたんだよ。

 それとも……大事さに気付く頃には、あの入り口は見えなくなるようになってるのかもしれないなあ。
だってそれが、「大人になる」ってことみたいだからさ。








   通〜りゃんせ、通りゃんせ〜。此処はどこの細道じゃ〜……
   天神〜様の細道じゃ〜……




 ぼくの家に集まる子供たちに、ぼくはそうやって、唄を聞かせてた。
あの日あいつが言った、「通りやんせ」って言葉。ぼくが勇気を出そうと呟いた言葉。それに節をつけてね。
 もしも不思議な入り口を見つけて、そんで勇気が出ねえ時には、この唄歌えって、ぼくは子供たちに教えた。
ぼくの調子っぱずれな唄を、彼らは楽しそうに聴いていたよ。

 不思議な入り口ってのは、きっといつでも、どこにでもあるんだよ。
だけど、それはきっと大人になっちまったらもう見えねえ。
だから、子供の内に冒険してもらいたいんだ。
何にも知らん子供の目にだけ見える、幻想の世界の入り口って奴が、きっとあるんだからさ。

 ん? なんで幻想なんて言い方するかって?
へへ、実はね。三途を渡ってこっちの世界に来てから、ぼくもあの景色を絵に描いたんだ。
じいちゃんのより、ずっと下手だけどね。
 そしたら通りすがりの女が、絵の中の鳥居に描いた額束を見て、ぼくに言ったんだ。
「幻想郷に行ったことがあるのですか?」って。
それでぼくは知ったんだ。ぼくとじいちゃんが見たその世界に、「幻想郷」って名前があるってことを。
ついでにその神社が「博麗神社」っていうんだってことも、教えてもらった。

 だけどそれが、知って良かったものなのかどうか、ぼくには分からなかった。
まあ、教えられたのが死んでからってことが、救いと言えば救いだったのかもしれねえなあ。









 ぼくが死んでから、何百年経つだろう。
だけどぼくが子供たちに教えたあの唄は、有名になって今でもこの国に残ってるみたいだ。
嬉しいねえ。

 だけど知らん間に、歌の真ん中に変な歌詞がついちまって。
まああの世界、最初に見えるのが神社だから、そんな歌詞がついちまったのかなあ?



 ……まあ、そんなことはどうでも良いんだ。
唄の初めと終わりには、ぼくが歌って聴かせた時の歌詞がそのままに、今の時代に残ってるみたいだから。
だけどこんな歌詞になっちゃっては、今はきっともう、誰も知らないんだろうねえ。



   元々この唄が、「幻想郷」って所に行く為の、冒険の唄だったってことをさ。








     通りゃんせ 通りゃんせ
     ここはどこの 細道じゃ?
     天神様の 細道じゃ
     ちょっと通して 下しゃんせ
     ご用の無い者 通しゃせぬ
     この子の七つの お祝いに
     お札を納めに 参ります


     行きは良い良い 帰りは怖い。
     怖いながらも 通りゃんせ、通りゃんせ……。




                                       ≪完≫




 私自身、思い入れの深い一作です。
 東方でSSを書く身として、何も混じりっ気の無い「東方の物語」 書いてみたいと思い、そしてある程度思った通りのSSになり、一定以上の評価をいただけた作品でした。
 この作品に下さった評価ほど、東方SS書き・反魂を喜ばせたものもありませんでした。

 初期頃から自分で一番気に入っている作品を挙げるとき、今でも私はこれを選びます。
 いわゆる自信作。読んで下さった皆さま、本当にありがとうございます。 
(初出:2006年4月7日 東方創想話作品集27)