「おにはーうちー ふくはーそとー」
月影も見えぬ、厚い雪雲の夜。
牡丹雪がしんしんと、吸い込まれるような夜空から落ちてくる。
その大粒の雪の中を、萌葱色の豆がはらはらと放物線を描き、境内の雪原へと落ちた。
「おにはーうちー ふくはーそとー」
自分が幻想郷に足を運んで、もう大分経つな――
そんなことを、萃香は銀色の雪褥にふと思い返していた。
「おにはーうちー ふくはーそとー」
外れ者だった自分も、存外にあっさり溶け込んでしまった。投げて散った大豆が今、目の前で銀平原へ溶けているのと同じように。
目立つことも埋もれることもせず、ただあるがままにすんなりと。
自分もまた幻想郷に降る、一片の雪になった。
なれたと思う。
「おにはー……そとー?」
うーん。
鬼は外? そんなことわざわざ言わなくても、鬼はもう外の生き物だ。
この幻想郷にあってさえ、もう外に追いやる鬼は他に、一匹だって居やしない。
鬼は外ー、と言って豆をまいても、何だかえらく虚しい気がする。
「おにはーうちー ふくはーそとー」
だけどやっぱり……幻想郷は、全てを受け入れてくれる。今の幻想郷なら鬼だってなんだって、深い懐で受け入れてくれるだろう。
それでも、鬼達は戻ってこないと思う。そしてその中で自分だけが、こうしてここに居続けている。
たった一匹の鬼として、博麗神社の境内に座っている。本当は大して痛くもない豆をぽいぽいと、何の気も無く庭に放っている。
「おにはーうちー ふくはーそとー」
鬼にとって、節分は二月じゃない。二月だけじゃない。
ここ何十年、ずっと――自分たちにとって、一日一日の全てが節分だった。
嫌悪という豆を投げられ、乱獲され、殺戮され――ついには、忘れ去られてしまって。
終わりの見えない、冬の時代だった。
「おにはーうちー ふくはーそとー」
そしていつしか、鬼達は消えてしまった。戻ってきた者は、自分以外居ない。
鬼にとっては今でも、変わることなく節分の時代なのだ。
外の世界では鬼が居なくなると同時に、人と妖もまた離れていった。妖もまた、冬の時代になった。
鬼達はやっぱり、「疎」と「密」を操る能力を持っているのだ。
ただ――幻想郷だけは違うと思う。思いたい。妖と、あと私だけにとっては絶対に違う。
私にとっての節分は――長く辛い節分だったけど、どうやら今、終わりを告げてくれている気がする。
それは、きっと……
「おにはーうちー ふくはー……か」
暗く切ない節分。それが晴れてくれたのはきっと、霊夢のお陰だと思っている。
霊夢という巫女――誰もを平等に見てくれる彼女が居てくれたから、自分は幻想郷の地に戻って来られた。
冷たい節分に、別れを告げることが出来た。
「おにはーうちー ふくはーそとー」
彼女は、幻想郷そのものだ。全てを受け入れて、全てを等しく生かしてくれる。
人と妖が住まう郷で、互いが立つ場所を分かってくれている。
……ううん、友達になったって訳じゃないんだ。
彼女は絶対に、親しくはしてくれない。今日も一緒にお風呂入ろうとしたら、角を掴んで放り投げられた。
結局一人で入ってしまい、湯船で鼻歌なんぞを唄っているのが今聞こえてきている。
こちらは冬空の下で、侘びしく豆を投げるのみだ。
……まあ。
だけど、それで良いんだろうな。
誰にもまつろわず、誰も傷付けず。誰とも馴れ合わず、誰をも憎まず。
一人だけれど、孤独でもない。ただ宙に浮くように超然と、昼下がりの神社でお茶を啜っている。
それで良い。霊夢はそうあってくれたら良いんだ。
だってそれがつまり、幻想郷なんだから。
「おにはーうちー ふくはーそとー」
全てを受け入れる幻想郷。全てを受け入れる、霊夢という博麗の巫女。
私はこうして、人間と暮らしていける場所を手に入れただけで十分だ。
結局鬼は、人間が好きなのだから。
だから私は、霊夢と一緒にいたい。
幻想郷が創り上げた人と妖怪の関係が、二本の平行線が……今は、何よりも愛しいから。
「おにはーうちー ふくはーそとー」
でもね
鬼はやっぱり、怒らせると怖いと思うんだ。
「……萃香ぁーーー! 私の着替えどこ持ってったのよアンターーーーッッ!!!」
「ふくはー、そとー……」
脱衣所からの金切り声に、萃香は振り向くこともしない。
散らばった豆にも打ち捨てられた装束にも、雪はただ等しく、平等に降り注ぎ続けているのだ。
ただ音もなく、閑かに、しんしんと。
お風呂くらい、良いと思ったのにっ。
厚い雲で、夜空に星は見えない。
その灰色の空に萃香は、雪のように白いであろう霊夢の裸体を燦々と思い浮かべていた。
(了)
二人一緒に入ってくれれば一粒で二度美味しいのに、というのが今の私の感性。
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(初出:2007年2月4日 プチ東方創想話作品集13) |