【神々の詩】




 右から左へと、川が流れるように料理が運ばれてくる。粗末な篝火が照らし出したその広場の下、誰も彼もが浮かれた笑顔で盃を酌み交わしている。
 神社の庭。鮮やかな紅葉に彩られた境内にぽつりと佇む、あばら屋のような社殿。
 その屋根のてっぺんに頬杖をついて、小さな人影がひとつ、酒宴を見守っている。
 秋 穣子にとってそれは、年に一度ずつ目にする、言わばごくありふれた光景でしかなかった。
 収穫祭。
 豊穣なる作物に感謝を捧げる祭り。その感謝される秋の恵みは今、絵皿にまたがって宴席の中央に鎮座している。
 村人は既に、ほとんど赤ら顔になっていた。神妙な面持ちで神主の祝詞に頭を垂れていたのは最初の数分ほどで、程なく村人達は既に三々五々に散って、方々で酒の競い合いを始めている。そしてその中央に、収穫を終えた穀物だの肉類だのが山積みにされている。
 よく目を凝らせば所々、どう考えても今の時期の収穫に外れる代物も垣間見えていた。
 ご愛敬か。
 穣子は苦笑する。
 神の感謝だとかは既に彼方へと忘れ去られているが、それでも彼らのこういった宴会が、穣子は嫌いではなかった。
「穣子穣子みのりこー」
 間延びした声が、後ろから聞こえる。
「――おねえちゃん、」
 覚束ない足取りで屋根を登ってくる姉の影に、穣子は顔をしかめた。
「その呼び方やめてって言ってる、でしょう? 私だって、」
「かみさまなんだから」
 台詞の先をすくい取る。静葉の口癖だった。
 頬を膨らませる静葉を横目に、穣子は更に言葉を継ぐ。
「神様ならもっと神々しくいてよ。姿を消して宴席に紛れ込んでつまみ食いして来る、そんな奴のどこに神格があるってのかしら」
 ふらつく足取り。時折奇妙に傾ぐ身体。
 吐息に微かな酒精の香りが混じる。
「……って一杯ひっかけてるし! おねえちゃんはねえ、だいたい」
「何? 聞こえない」
 とぼけた顔で耳をこちらに向けてくる静葉に、穣子は聞こえよがしの溜息をぶつけた。
 同じ神として。
 妹として。
 そして、静かに問う。
「お酒呑んだでしょ?」
「え? 何ー?」
 眼下の宴席が突然、ひときわ喧噪を帯びた。
 早食い比べでも始まったのだろうか。
「祭壇の御神酒呑んじゃったんじゃないでしょうねえ!?」
「きっこえなーい」
「っていうか内緒でくすねてきたんじゃないわよね!?」
「ぁんだってー?」
 村人という村人が大騒ぎを始める。
 猛烈な大音声が溢れかえる。
「……あのねぇ、」
 拍手。歓声。やんやの喝采。怒鳴るような大声。
 穣子が切れる。

「――あんた本当に神様なのッ!!?」

 にかっと歯を見せて、静葉は胸を張る。

「――トンデモナイ、あたしゃ神様だよ!」


    * 


 社殿の中に潜り込んでくつろぐことは、穣子の密かな趣味だ。
 社殿の中は神様のお家、と人はよく信じているが、実際にそれはあまり正しいとは言えない。神は神の世界に住んでいる。社の中はせいぜい、その入り口に過ぎないのだ。
 ただ人間がそうそう入ってくる場所ではないという、それについては少なくとも確かであり、現実として神にとっても決して居心地が悪い訳ではなかった。
 風通しも良いし。
 入ってきた裏口の扉にそのまま身体を預けて、穣子は宴の喧噪を聞いていた。
 横ではごろごろと、だらしなく静葉が寝転がっている。呷った酒量はさほどでもなかったのか、酔った感じはもう消えている。
 くぐもった喧噪。格子越しの酒の匂い。遙か遠い世界にいるような錯覚を穣子は覚える。
「それで、宴会行かなくて良いの?」
 静葉が問うた。
 庭の収穫祭は、いよいよ盛り上がっている。
「すぐに行くわよ」
 姉に視線を合わせることなく、穣子はそう答えた。
 豊穣を司る神として、穣子は毎年かの宴会に招待されている身である。それでも、最初の数刻は人間達に宴席を任せるべく、今はこうして身を潜めていた。
 今から自分が現れれば、盛り上がろうとした酒宴に野暮な水を差すことになる。
 穣子なりに、そう気を遣った結果だった。
「でも良いの? あいつらあのまま放っとくと、神様への感謝なんかてんで忘れちゃいそうだけど」
「そうかしらねえ」
「甘ーい。人間と神様は相互の信頼関係なのよ? あんなおまけっぽい祝詞と御神酒の一本で神への感謝だなんてそんな」
「どうせ何やってもインチキだからそれで良いのよ」
 穣子は冷淡にそう断じた。ぱきぽきと人間くさく首を鳴らして、そのまま窓外に広がる夜へと目を向ける。
 涼を帯びた風が頬を撫でる。紅色の楓がひらり、窓の外で夜にひらめく。
 不意にその意識の端で、かりかりと小さな音を聞いた。
「感謝を乞うてたら神様なんてやってられない、わ」
 するすると、穣子は摺り足で裏庭側の扉に寄った。
 どかん。
 爪先で鋭く、そこの扉を蹴飛ばす。扉の外側を使って爪を研いでいたのは、神をも恐れぬ野良猫である。
 飛び上がらんばかりの勢いで逃げてゆく。猫も足がもつれることを、穣子は初めて知る。
 蹴飛ばした扉はなかなかに大層な音がしたが、喧噪の只中にいる人間達が気付く気配は無かった。
「思えば穣子って、変わった神様よねえ」
 祭器以外に何もない、土埃っぽい社殿の木の床を、芋虫になった静葉がころころと転がってきた。
「人間の宴会に混じって、人間と喋って、人間とお酒を飲むなんてさ。そんなことしてるの、穣子くらいじゃないの?」
「私くらいかもね」
 宴に呼ばれて出てゆく。人間に面と向かって今年もありがとうございます、と言われる。せめてもの感謝と盃が寄越される。持ち寄られる料理は、供物というよりはもてなしに近い。
 そんな、いつもの秋。
「お姉ちゃんはどう思う?」
「何を」
「私について。秋 穣子、という神様について」
「だから変わってる奴、って言ったじゃない今」
「それじゃ嫌なの」
「何よそれ」 
 自分でも分からなかった。
 ただ神様であるという矜恃について、またその思索がいつも人間に帰結するということについて、目をそらすことは出来ない。
 天照らす神の恩恵は人に授けられるものであり、信仰という返礼があって自分たちは命を営んでいる。ほっそりとした運命が輪を作って、ささやかに巡りゆく。
 穣子自身、森羅万象の一隅にある者である。それくらいは自覚している。
「穣子は呼ばれて出て行くんだし、それなら遠慮無く相伴にあずかってくればいいじゃない。人間がそう言ってるんだし。私はただ、」
「?」
「連中が最近神様を忘れてるみたいに思えて、それに一方ならず憤る日々ね」
 語る静葉の鼻息は荒い。
 総じて鷹揚な物腰をとる自分に比べ、この姉は意外と剽悍なところがある――穣子は妹として、姉のことをそう評していた。人間による不敬の行為には、割合率先して先を制しに行くタイプである。   
 うーんと思わず唸って、穣子はやり場のない視線をまた夜空の中に舫った。
 人が唄う。神が憂う。
 小さな格子に切り刻まれた月が、遍く人を、天ねく神々を照らし出している。
「所詮、人間は卑しい生き物よ。傲慢だし独善的だし」
 抑揚に乏しい静葉の口調を、穣子は黙って聞いていた。
 抑揚の乏しさが、逆に哀しい。怒れる方が、まだ救いがあるに決まっていた。
 草むらには、怯えた猫の影が垣間見える。
 穣子が少し動くと、猫はまた怯えたように尻尾を逆立てて、人の集まる宴会場の方へと消えてしまった。 
「人が卑しい、か……」
「?」
「どう思う? お姉ちゃん。人間の業。猫の業。人間が卑しく、猫が卑しくないというのは誰が決めたかしら。感謝を忘れるのが人の業というなら、けもの達は感謝という感情すら怪しいわけでさ」
「んー。なんか詭弁っぽいわね?」
 静葉は不満顔を作る。
「詭弁なんかじゃないわ。私達だって、」
「……」
「人間の信仰がなければやっていけないんだもの」
 淡々と、穣子はそう口にする。静葉という姉を目の前にして、その言葉を噛み締めるように紡ぐ。
 その言葉は、はて、真実誰に向けられたものか――
 穣子の溜息は、神々の息吹が掻き消した。八百万の自然を司る風が、憂える神の頬を撫でてゆく。
 生き物に貴賤を定めるのが神ならば、人とも獣とも違わず、或いは神さえも傲岸なのかもしれない――穣子はそんなふうに、つまらないことを思った。
「ねえお姉ちゃん、私達は結局何の話をしてたのかしら」
「穣子が宴会にいつから出るか」
「それもそーだけどー」
 美味しそうな芋の匂いが漂ってきて、くう、とお腹がなる。無論、自らの身体から漂う匂いではない。
 いつも自分で嗅いでいるそれとは、似て非なるものだ。ちゃんと風に乗って漂ってくる匂いは食欲をそそられるものだ。
 食欲の秋だからである。
「本題か……要するに、努力すべきは神か人か。そういう話ね?」
 相変わらずだらしなく寝転がったままで、面倒くさそうに静葉が呟いた。
「そりゃあ人間と神様は相互関係――私達にだって問題があるかもしれないけど、神様だって慈善事業じゃないんだからね? 胡座かいて天佑神助を授かりましょうなんて虫の良い奴らに付き合う義理も本来は」
「でも神が敬われなくなった世界は、人間の不徳なのか、それとも私達の存在がその程度に堕したからなのか」
「穣子は優しすぎるのよ」
「お姉ちゃんが冷淡すぎるんじゃない?」
 答えは出なかった。
 いくら続けても、出ないと思った。 
 神の庇護と人間の信仰心が相関関係であるからには、人間ばかりを嘆いても始まらない。
 穣子は穣子として、ふと考えるのだ。酔っ払うことが目的のように人間が集った宴会、そこに自分が混ざって……それで、神はどうなるというのか。
 曲がりなりにも神たる穣子が人間と直截に交わることについて、実のところ、他の神々の覚えは決してめでたくない。
 信仰と親交は違う。
 神として自分は、そこに線を引くことが出来るのか。
 神として。
 自分は、神でいられるのだろうかと思う。
「でもね」
 かけられた声は、足元から聞こえた。
 静葉はいつの間にか、ほんの足元まで転がってきていたのだ。
 それは足元で、つまりはあまりにも足元すぎて、要するにスカートの真下であり、
「……今日は白ですか?」
 蹴飛ばした。頭を。
 いったーい、と静葉は涙目になる。
「どこ見てるのかと思ったら!」
「見られてると思うほど恥ずかしいものよ」
「だから何の話よ!」
 顔が火照るのを感じるのに、静葉はあははー、と無邪気に笑っている。
「つまりさ、考えすぎってことよ、穣子は」
 ぴん、と、寝転がったままで静葉は人差し指を立てた。
「穣子さっき自分で言ってたでしょ? 猫なら感謝の情さえ怪しいって。まあ今回はこうやって収穫を天に感謝と言ってる宴会なんだし」
「何が言いたいの?」
「……人間は、まあ、猫以上には神様を信じてくれてると思わない? ってこと」
 見下ろした静葉は、にこやかな表情を浮かべていた。
 思いがけず合ってしまった視線を、咄嗟に慌てて逸らす。
「……」
「ね?」
「……ったく、お姉ちゃんはどっちなのよ。人間の肩を持ちたいのか、こき下ろしたいのか」
「そんなのどっちでもないに決まってるじゃない。だって、」
 よいしょ、と御丁寧に声を出しながら、ぽおんと足を跳ね上げて、静葉が起き上がりこぼしになって上体を起こす。
 宴会場の喧噪へと視線を向けて、そのままで静葉は詠う。
「神様と人間は相互関係――私は最初から、そう言ってたはずよ」
 胸が空いた気がした。
 すっとした。
 その理由は、穣子自身にも分からなかった。或いは単に自分が考えすぎていただけで、それを今、姉に咎められただけなのかもしれない。別に目を覚まさせられるような言を、彼女が口にした訳でもない。
 ただひとつ、挙げるとすれば――この姉を見ていると、思うことがある。
(お姉ちゃんには、やっぱりかなわないな……)
 一見、おっとりしている穣子とけしかけがちな静葉とでは、自分の方が達観しているように見えるかもしれない。
 でも、実際は違う。静葉はやはり、姉であると穣子は思う。いつも人に棘を放っているようで、静葉は結局人についても神についても、自分よりずっと冷静な目で見ているのだ。
 穏やかな物腰の自分は大人っぽい、動き出しの早い姉は子供っぽいと他の神々に言われることもあった。
 だけどやっぱり、子供は自分の方なのだ。穣子は一人、苦笑いする。
 ――でも。
「お姉ちゃん――」
 見る気はなかったのだ。
 ただ、起きあがる時に足を跳ね上げたりするから――
 うん、その――
「お姉ちゃんの今日は、縞なのね」
 ばっちーん。

  *

 またそれからしばらく暇を潰してから、頃合いを見て、穣子は社殿の裏戸を開けた。
 その音に、また寝転がっていた静葉が振り向く。
「お姉ちゃん、提案だけど」
 見れば境内の楓は、すっかりと赤に黄色に染まっていた。
 くらくらと燃える宴会場の篝火が、建物を挟んで仄かな明かりを届けてくる。その淡い紅葉色が、闇の中に茫洋と照らし出されている。
「……今日はお姉ちゃんも、収穫祭に出てみない?」
「はい?」
 静葉の目が点になる。
 穣子が、前々から温めていたことだった。
 収穫祭に呼ばれるのは、例年穣子だけである。だが、自分は姉妹で秋を司っている。ならば一度くらいは、姉と連れだっても罰は当たらないんじゃないかと思っていた。
 今回ほど、重い意味を持つとは思っていなかったけれど。
 というか、神様に罰は当たらないのだけど。
「さっきの話の、しかえしとして」 
「お返し、の間違いじゃなくて?」
「しかえしなの」
 老成した姉が微かな狼狽を浮かべていて、穣子はそっと苦笑する。
 ここからは捲土重来と、姉の手を引こうとする。
「……結局、神様が努力するしかないわけね」
 静葉が、零すようにそう呟いた。
「お姉ちゃんさっきと言ってることが違うじゃない。もう一回言うけど、私達は人間の信仰心無しでは生きていけないって」
「だからって私まで人間におもねりなさいってーの?」
「違うわよー。そりゃさあ、酒飲みワイワイの信仰心なんてたかが知れてるけど、一回くらい宴会も良いんじゃないの、ってさ。ひょっとしたら何か良いことが、」
 かららん。
 その時不意に、鈴の音が鳴った。
 姉妹で思わず顔を見合わせる。
 それは、人の手が作った、神様の温度。神様の耳に、優しい音色。
 宴会の喧噪に負けそうなその音は、でも確かに、向拝――すなわち人が参拝する側の、要するに社殿の正面玄関の方から聞こえてきた。
 社殿の軒にぶら下がった、神様を呼ぶ鈴の音。
 二人は摺り足になって近づき、そっと、格子の隙間から外を窺った。
 小さな小さな人影がある。
 稲穂のような肌の色。
 紅葉のような小さな手。
 林檎のような朱い頬。 
「……」
「……」
 稚い少女が、そっと、手を合わせていた。
 のんのん。
 きゅっと目を閉じて、小さな掌を胸の前で合わせて、きちんと社殿に向かっておじぎする。 
 何を想うか祈るのか。
 やがてもう一度目を開いて、庇の鈴にぶら下がった太い錦の紐を握り、
 ――からからりん。
 ためらいがちの鈴の音が、穣子と静葉の耳に届く。
 ぱんぱんとかしわでを打って、握りしめたおさいせんを投げて、かみさまをおがむ女の子。
「――ねえ、穣子」
 静葉がそっと、口を開いた。
「どんなに感謝を忘れられそうになっても、ぞんざいに扱われても、どうして私達は、人間に恵みを与えるんだろうって思ってるけどさ」
「……」
「やっぱり、嬉しいよね?」
 こんこんと、静葉が指で格子をたたく。
 その音に女の子が顔を上げて、見上げた社殿の中に、いるはずのない人の顔を見る。 
 静葉が手を振ってみせる。
 固まってしまった女の子の顔。
 一瞬時が止まって――女の子はそのまま、無言で大人達の方へと走り去ってしまう。
「人間は傲慢で、不遜で、独善的だけど」
 走って行く先には小さなおばあさんが待っていて、女の子を迎えて、抱き上げた。
 こちらを指さして女の子がなにやら喚いて、穏やかそうなおばあさんがその頭を撫でている。

「私は結局、人間が好きなんだよね」

 静葉の声が、すっと細くなる。
 あんな子を脅かしておいて。
 穣子がそう言うと、静葉はあははと笑った。
 そっと盗み見たその瞳は、今日いちばん優しい色をしていた。

「あっそう――じゃ、私は宴会に行ってくるわね。ついてくるかどうかはお姉ちゃんに任せる」

 回れ右をしてそれだけ言って、穣子は歩き出す。
 姉を顧みることもせず、先程開け放ってしまったままの裏口へ歩いて、そこから外へと降りる。
 見上げれば境内の楓には、すっかり秋が来ていた。
 四歩ほど歩いて、穣子はふと、遠い記憶に呼ばれて立ち止まる。
 どうして葉っぱが、黄色や赤になると思う? なんて、前に静葉が言っていたのだ。木々や動物たちは、あの葉っぱが色で染まっても染まらなくても何ら関係ないのに、どうしてあんなふうに葉っぱが、いちいち煌びやかに装いを変えると思う?
 真面目に頭を悩ませた穣子に、静葉は満足そうに頷いて、
 ――あれはねえ、サービスなのよ。
 そう言って、悪戯っぽく笑ったのだ。
 あの時の言葉が冗談だったのか真剣だったのか、穣子は知らない。ただ確かなのは静葉が紅葉を操る神であり、そして彼女の気紛れによっては恐らく、葉っぱが一枚も色づかない秋だって演出出来てしまうことだ。
 今、境内の楓は赤に黄色に染まっている。
 宴会の人間達は今、それを肴にして、美味しい酒と秋の味覚を楽しんでいる。

 今年もまた、素晴らしい秋が幻想郷を包んでいる。

 神が居なければ、人間は生きていけない。それは事実だと穣子も判っている。
 だけど神様だって、人間が信仰してくれなくては生きてゆけない。
 穣子は思う。そこに、どちらが努力するかという関係はないのかもしれない。
 ただ偏に、大切なのは――


 あなたのおかげです、と。

 だれかのおかげで、わたしは生きていますと。

 のんのんさま、ありがとうと。
 人間さま、ありがとうと。

 お姉ちゃん、ありがとうと。


 
 背後からためらいがちの足音が聞こえてきたのに、穣子は気が付いた。
 振り向かないで、小さく笑う。
 きてくれて、よかったと思った。
 お姉ちゃんには、かなわないのだから。
 

 たけなわを迎えた宴の席に、少女の風貌をした神様が二人、厳かに現れる。気付いた人々が、順々に居住まいを正す。
 その様が穣子にはなぜか、秋風の渡る稲波のように見えた。
 その稲波の巡る中に、穣子は先の女の子の影を探した。
 紅の楓が舞う。篝火が揺れる。高い夜空に、星の数ほどの神々が瞬いている。風の息吹が、秋の夜長にこだましてゆく。

 宴席の場所から離れた、やや暗い境内の隅っこ。
 穣子がようやく見つけた女の子は、そこにしゃがんで、さきほどの野良猫をやさしく撫でている。
 


                                             (了)





 風神録の時代の作品になりましたよー。
 体験版を例大祭の行列で入手してきた後、ちょっと可愛らしくてつついてみたくなった秋姉妹を題材にして描いたフライング作品です。
 その後2年以上の時を経た2009年夏、なんと街角麻婆豆の中雑魚酒菜さんにお声を掛けて頂き、秋姉妹合同誌「爽秋」に参加させて頂く栄誉をいただきました。こんな場で言っても仕方ありませんが本当にありがとうございます。
 びっくりでした

 余談ですが体験版当時、キャラ.txtの説明には互いが互いの姉であると記されていて混乱した思い出があります。
 混乱した挙げ句に私は、「逆に考えるんだ、W(ダブル)妹属性と考えるんだ」という乾坤一擲の解決案を思い付きました。そして世界には平和が訪れました。
(初出:2007年4月14日 東方創想話作品集39)