【副作用(星味)】



 冥界に住む幽々子はたいへんな大食漢だったから、給仕の者は毎日てんてこまいであった。食べることはもちろん健康で良いことだが、年頃のお嬢様がおかわり何杯という御飯をぺろりとたいらげるので、優美さもなにもあったものではない。だが彼女はそれを気にするふうもなく、いつもお腹いっぱいになるまで食事を堪能していた。
 剣術の指南役を務める妖忌はそれをいつも苦々しく思い、そしてとても心配していた。おしとやかなお姫様が毎日大きな茶碗に向かっている姿が、古風で武士肌の男には気に障り、我慢がならなかった。女の子はもっとつつましやかであれと、妖忌はいつも思っていたのである。幽々子にしてみればずいぶんおせっかいな話ではあるのだが、当の妖忌本人はそれが幽々子自身のためになることだとも思っていた。


 ある日三杯目の茶碗を差し出そうとした幽々子を見て、妖忌はついに決心して告げた。
 「もし、幽々子殿。まえまえから思っていたのですが、もう少しごゆるりと召し上がりなされ」
 「あら、どうして」
 「幽々子殿は女人にございます。女人たる者、そのように急いで
  がつがつとたくさんお召し上がりになるのは、いかがかなものかと」
 「失礼な人ね妖忌、人がいくら食べようが勝手じゃない、男でも女でも」
 幽々子はいやな顔をした。よけいなお世話だとでも言いたげだ。こんなおせっかいを急に言われたのだから、当然だろう。だが妖忌も引き下がることはない。こうと決めたらてこでも動かないがんこな武士、そうかんたんに折れるはずもない。妖忌はなおも続ける。
 「幽々子殿のお言葉はごもっとも、しかしそれを世の中は許しません」
 「どういうことかしら」
 「それがしも、男女を理由に食べることを我慢する必要は無いと言いたい、しかし世間では、
  上品なお嬢様が御飯を口にかっ込む姿はあまり良しとは見られません」
 「世の中?」
 「はい、うら若きおなごが、どんぶりほどの茶碗で何杯もめしをかき込む。
  このような姿は、民の目からすればとんだお笑いぐさかと存じます。
  何かのひょうしにこのような事が世に知れ渡ればA世の衆は幽々子殿を、
  がさつで品のない、しつけのなっていない無教養な女と見るでしょう。
  そうなれば、幽々子殿の後世に延々とつきまとう汚名となりましょう」
 妖忌はわざと社会のせいにし、じぶんの考えを押しつけていることをごまかした。このまま思いを説いても、幽々子が聞く耳を持つとは思えなかったからだ。
 社会の目ということばを聞くなり幽々子は大いに動揺し、黙ってしまった。差し出しかけていたおかわりの手を止めしばらくうつむくと、ご馳走様とひと言言い残して茶碗を置き、とぼとぼと部屋に引っ込んでしまった。本来ささいな説教など気にかけることもない幽々子だが、そこはそれやはり、人の目が気になる年ごろなのだ。
 妖忌は老練の説得術がうまくいったことに快感をおぼえつつ、少しだけ心が痛んだ。少しおおげさに言い過ぎたかなと反省する。だが、多少は強く言うのが本人のためだからと、自分に言い聞かせた。妖忌もほんとうは幽々子に好きなように暮らしてほしいと願っていたが、いっぽうで幽々子が他人に笑われることもまた我が事のようにいやだったのだ。幽々子が笑われることは、目付役の自分が笑われることにほかならないと信じていた。もともと少し責任や体面を気にしすぎる、古風な男であったのだ。
 なにはともあれ、幽々子が自分の言い分を理解し、どうやら少し気にかけてくれたらしいことを、妖忌は安心した。そしてしばらく里へ降りるので屋敷をあけると妖夢につげ、しばらくの留守を彼女にあずけた。


 妖忌の思いどおり、幽々子は落ち込んでいた。彼女はふだん天真爛漫にふるまっていたが、それでもやはり食べもののことで人に笑われるのはとても恥ずかしいことだと思っていた。さすがに、そのくらいの恥じらいは持っていた。美味しいものを食べることはたいへん楽しいが、まわりの目と天びんにかければ、どちらがたいせつかなどは考えるまでもない。これは少し、なおしていかなければならない習慣のようだ。幽々子にすこしだけ、自覚がうまれた。
 幽々子は決心した。決心したはいいが、それでも幽々子は、食べる量を減らせばいいだけだから、と簡単に考えていた。もともと、深く考えない性格なのだ。
 彼女はまず食事の量を、3度の食事から少しずつ減らしてみた。今までにくらべて腹八分目だが、それでも腹はふくれたから、結果は上々に見えた。だが、それまでより一時間早く腹がへるようになってしまった。毎日ごはんのまえにぐうぐうと腹を鳴らしていては、みっともないことこのうえない。そこで、朝ごはんだけ多めに食べ、昼食と夕食が少なくてもお腹が空かなくなるよう工夫をしたが、からだはそんなに単純でなく、朝にたくさん食べても夜には腹がへった。さらに一度の食事を少なくする代わりに四度や五度に分けて食べるという方法をためしたが、これはほとんど朝三暮四の理屈そのものですぐにだめになった。
 幽々子はますます思い悩んだ。じぶんが思ったより、食べる量を減らすのは簡単でなかった。彼女はまた人の目を想像し、大いに悩んだ。そしてやむをえず、医者に相談に行くことにした。


 「それで、どうして欲しいというのです」
 「食欲を抑えるお薬を、いただきたいのです」
 それを聞いた医師の永琳は、残念そうな顔をうかべる。
 「残念ですが、それは出来ません」
 「どうして。あなたは天才的な薬剤師と聞きおよびますが」
 「食欲は、生き物にとって三大欲求と呼ばれるもののひとつで、絶対に抑えることはできないの。
  無理に抑えれば、ストレスや精神障害で、もっと大きな病気をまねくでしょうね」
 幽々子は大いにふるえ上がった。たかが飯のことで、精神病になってはたまらない。いっぽうで幽霊の身にあって生き物の欲求などあるのかとも考えたが、じぶんが実際生き物と何ら違わない状態でくらしているので、きっと生き物と同じなのだろうと思いだまっていた。
 「どうしても、だめなのですか」
 幽々子はそれでも食い下がる。もはや万策尽きてあとがないのだ。
 「お願いします、食べられなくなる薬ではなく、すこし食べる量をへらせる薬でよいのです。
  腹八分目でとめられる薬を、ぜひお願いしたい。このまま大食らいを続ければ、
  私はいい笑いものです。一人前のしつけのためにも、ぜひ良い薬をお願いしたい」
 ひたすらあたまを下げる幽々子を見て、永琳医師はしばらく考え顔をしていた。そして仕方ないなという顔をしながら、黙って引き出しを開け小さな錠剤を取り出した。
 「あなたの熱意に根負けしたわ。特別にお薬をさしあげましょう。
  一日一錠、これさえのめば、あなたは腹八分目でおなかいっぱいになれる。
  そうすれば、食事の量もしぜんとへらすことができるでしょう。
  ただし、これは非常薬。副作用が強いので、ほんとうならめったに使わないほうが
  よい薬なんだけど」
 「いやいや、どんな薬でも用意していただけるだけありがたいわ。で、どんな副作用なのです」
 「それは私からは……。言いにくいので、ふくろの裏にしるしておきます、
  この病院を出た後で、よくお読みになってください」
 永琳医師はそう言って、それを5錠入れた白いふくろに何か長く書きこんで渡してくれた。
その後ろすがたに向かって精いっぱい礼を言うと、幽々子はうかれ気分で病院をあとにした。
 
 翌朝起きるといつもどおり空腹だったが、朝食を食べるまえに、幽々子はもらってきた薬を一つ取り出した。永琳医師にはさんざんおどかされたが、もはや他に打つ手はないのだ。ふくろに書いてくれた注意書きを見たが、欲求がどうとか代用がどうとか書いてあり、小難しくてよく分からなかった。彼女は天真爛漫な性格であったから、何よりものはためしだ、飲んでみないとどんな薬かわからないじゃないかと思い、すこしの水と一緒に一錠をのんだ。するとみるみる空腹感が消え、食欲がすこし下がったではないか。おかげで幽々子はその朝の食事を、つつましく終えることができた。さらに効果は続き、その日は一日じゅう、完全な空きっ腹にはならなかった。おかげで、三食すべて、腹八分目で抑えることができたのだ。心配のたねであった副作用とやらが気になったが、夜布団に入っても、翌朝目が覚めても、からだにおかしいところはどこにもなかった。やはり、幽霊には副作用はないのかもしれないと幽々子は思った。
 翌日も、翌々日も幽々子は薬を飲んだが、ほどよく食欲が無くなり、食事が腹八分目程度できっちりまんぷくを覚えることができた。あまりにもうまく行ってしまった食事制限に、幽々子は心の中でばんざいをし、そして永琳医師に感謝した。こんなよい薬を出してもらったのだからあとでお礼でもしようか、そんなことを考えながら、最後の一錠を惜しげもなくのんだ。その日も腹八分目で夕食を終えたところで、妖忌がやってきた。里から帰ってきたのだ。彼はうれしそうな顔をしていた。
 「幽々子殿、侍従の者から聞きました。最近のあなたの食事はつつましくてすばらしいと。
  よくやりました、幽々子殿。それでこそまさに、上品なお嬢様のようだ」
 「ありがとう、妖忌。あなたの助言と、永琳という医師のおかげだわ」
 医師、という言葉に妖忌は少なからず驚いた。自助努力のすえ、医者にまで相談したというのだ。彼女のがんばりに、妖忌は涙ぐんだ。これなら、りっぱなお嬢様に育ってくださるに違いないと、妖忌はそんなことを考えていた。
 そして涙ぐみながら、幽々子の手もとにあった薬袋をとる。これが幽々子を救った立役者とあっては、この薬に、そして作ってくれた誰かに、じぶんからも惜しみなく感謝を述べたい気分だった。ところがなにげなくそのふくろを裏返したとき、そこに達筆でなにやらしるされているのに妖忌は気がついた。彼はいぶかしみ、それを読んだ。「この薬は、三大欲求の一つをむりやり抑える薬です。ですが生きている以上欲求は湧くので、あくまでむりやりです。薬で我慢したぶん、残り二つのどちらかで欲求を代用することになると思われますので、それが副作用です」
 妖忌は眉をひそめた。書いてあることが、一瞬分かりかねたからだ。
 「幽々子殿、これはどういう……」
 「ようき〜」
 幽々子のほうへ向きなおったとたんだった。正面から、幽々子の両腕が妖忌の首筋にふわりと巻きついた。
 「なっ!!」
 華奢なからだが飛びこんできて、咄嗟にかろうじて胸板と両腕で抱き留める。ねっとりとからみつく視線を送る妖艶な幽々子の顔が、すぐ近くにあった。力の抜けた妖忌の手から、はらりと床に落ちる薬袋。すっかり舞い上がった彼の目に、「欲求」「代用」の文字が飛び込んでくる。
 「な、ま、まさか……んンッ……!?」
 つぎの瞬間「ちゅっ」と、妖忌は軽やかにくちびるを奪われてしまった。
 混乱して赤面する妖忌の目の前には、5日間の食欲分の副作用がたまりにたまった、ばくはつ寸前の幽々子が燃えさかっていた。





 星新一は良いですよね!
 星新一は良いですよね!
 星新一=コナン

 当時星新一を読んで感銘を受けて、書いた作品でした。
 この作品は9KBあるので、たぶん平均的な星作品と比したらまだちょっと長いです。
 星新一は良いですよね!
 やはりその一言に尽きるのでした。
 
 ゆゆ様? ああ、性欲をもてあます。 (最近聞かなくなったなこの言葉)
(初出:2006年5月1日 東方創想話作品集28)