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【文鏡−ayakagami−】



 

  「…かくして人攫い妖怪は、無事博麗の巫女によって退治されました、と」

鉛筆が、手帳の上を軽やかに走る。

  「物騒な事件が続いていますね…人の心だけじゃなく、妖怪の心も荒んでいるのかもしれません」



 口をこぼれる独り言、幻想郷の杉の上。文のいつもの「指定席」にも、本格的に冬将軍の足音が聞こえる。
身を切る木枯らし、唇寒し秋の風。冬がすぐそこまで訪れていることを、文は樹上に感じ取っていた。



 冬の寒さが招くのは指のあかぎれ。では、社会の寒さが招くのは…

  「心のあかぎれなのでしょう…っと。こんな感じかな?」

 草稿の文末に独り言をそのまま記して、文は手帳を閉じた。



 妖怪が人を攫うのは当然なの、それが節理だから…と、どっかの偉い妖怪が偉そうに言っていた。
なるほど力関係を考えれば、弱肉強食世の定めと人間の方が涙を飲むべきなんだろうけど…

 打ち解け合って和気藹々、人と妖怪分け隔て無く…文はそんな幻想郷が理想だった。
ちなみにそれは、人への思いやりなどと言った崇高なモンではない。単に人妖相離れ行くことになっては、ネタに困るというハナシだ。

 人のもめ事メシのタネなどと不届き千万なことを平気でのたまう記者仲間もいるが、
文にとってはもめ事の記事など、書いて何ら楽しくもないし、そんなことで部数が伸びてほしくもない。
 人と妖怪交わるところ、笑いに涙に人情有り。他の天狗以上に人間に近づく文には、身に染みて分かっている。
 それ故彼女の記事は、他の天狗達と違う。人・妖二つの立場で描き、時にはその交わりさえ記事に仕立てる。
遠い昔に離れてしまった二つの生き物も、文にかかれば同じ主役だ。

 長い時を経て二山を分けた激しい渓流に、ペンという橋を渡す。
鴉天狗の踊る筆、文が描き出す幻想郷の出来事は、いつでも人妖混じり合う世界の楽しさだった。

 ペンは剣よりも強し。お互い蝕む心の淵を、優しい記事で「護岸工事」。
それが、「文々。」だった。



  「なのに…」

 杉の上で、大きく一つ伸びをして。

  「どうして妖怪は人を襲うのかしら」

 また、答えの出ない独り言を漏らす。


 秋も暮れ、今年も終わり近くになって改めて思う。この一年、人襲い事件が多かった。
どちら側に原因があるのかは知らないが、妖怪達も人達も、心のあかぎれは想像以上に深そうだ。

 結局こういう事件が起これば起こるほど、人間も妖怪も住処を失っていく。
本来人間と妖怪は、互いに畏れ合って生活しているからだ。
 お互いがお互いの恐ろしさを知っているからこそ、付かず離れず水の交わり。
刃と刃の鍔迫り合いを演じては、そりゃただの喧嘩ではないか。
仕返しが仕返しを呼び、仇の連鎖が時代を超えて血みどろの歴史を織り成してしまう。

 それでは、外界の人妖戦争と変わらないではないか。



 ―事件の記事は事件を呼ぶ―

  「連鎖…事件が事件を呼ぶ…
   あの裁判長は、このことを言ったのかもしれないですね…」

 この間偉そうな裁判長に聞いた、意味の分からなかった説教が記憶に蘇る。
 現代を憂いながら文は、思い出に耽りつつ、一人夕陽に黄昏たのだった。






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  「…で、その苦労の結果がこの新聞紙なのね」

 翌日。
 刷り上がった文々。を手に、文は博麗神社を訪れた。
 出迎えた巫女は、相変わらず失礼な表現で出来たての新聞を受け取った。

  「大体現代を憂うくらいなら、記者稼業なんて辞めちゃいなさいよ」

 巫女の意見はいちいち棘がある。
その割に正鵠を射た事を言うから、記者としては面白い反面、やりにくい。

  「天狗は情報好きなんです。新聞を取り上げられたら、息が詰まって死んでしまいます」
  「不便な生き物ね」
  「折角珍しく貴方の武勇伝を記事にしたんですよ、もっと喜んでくれても良いじゃないですか」
  「武勇伝なんかじゃないわ。結局人間を助けることは出来なかったんだから」

 その刺々しさに影を落とすように、巫女の表情が曇る。



 そう、結局今回扱った事件は、人間側にもハッピーエンドではなかった。
事件で襲われた子供を、人間は助けることが出来なかったのだ。

 もっとも文が到着した時には、既に事は収まっていた。
巫女の力で妖怪は既に雲散霧消していて影形も無く、後になって村人の口から、一人の子供が犠牲になったと聞いたのだった。
最近増えていた妖怪の襲撃事件により、遂には子供の犠牲者が出てしまったのだった。

  「すみません。思慮が足りませんでした…」
  「アンタが謝る事じゃないわ。事件が起きたのはアンタの責任じゃないんだし」

 気が咎めたのか、霊夢も庇ってくれた。



     ―貴方は少し、好奇心が旺盛すぎる―



 脳裏にフラッシュバックした映姫の言葉に、文は思わずため息をこぼした。
霊夢はやはり、訳が分からずきょとんとしている。

  「ある人から言われたのです。記事は事件を呼ぶものだと…」
  「無茶苦茶ね」
  「無茶苦茶です」
  「無茶苦茶と分かってて気に留めてるなんて、アンタもお人好しね」
  「自分でもそう思います」

 はあ、と更に深いため息をつく文に、

  「心配しなくても、あの妖怪は二度と現れることはないわ。
   アンタだって、事件の残酷さを伝えたのでしょう、そこの新聞紙で」
  「はい…」
  「じゃあそれで終わり。辛気くさい顔ばかり撒き散らしてないで、さっさと次のネタ集めにでも行きなさい」

 霊夢はそう言って、手に持った箒で文をしっしっと追い払うのだった。





-----

 そんなこんなであちこちの屋敷に新聞の配達を終えた頃には、既に日も傾いていた。
家路を急ぐ筈の文は、なのに結局また、杉の上の指定席で道草を食っていた。

 眼下の幻想郷が茜色に染まっていく。
 脳裏には未だ回転木馬のように、映姫と霊夢の言葉がしつこく交互に浮かんでいた。
映姫の言葉は、自分に対し未だに何かを訴えかけてる気がしていたし、
現実が嫌なら記者稼業を辞めちまえという巫女の言い分も、あながち暴論ではない。
情報の集め手から受け手に回れば、社会に対し斜に構えることもなくなるかもしれない。

 それでもその疑問は、あたかも神が用意した壁…記者である自分が乗り越えるべき試練の壁、にも見えていた。
それはつまるところ偏に、文自身が新聞書きを愛しているからに他ならない。
記者なら越え行け、この苦悩…弱気になりそうな脳裏に、そう奮い立たせるもう一人の文が居た。

 何気なく、胸ポケットから鉛筆を取り出して、
それをじっと見つめてみる。


  この鉛筆に私が宿す力に、映姫は何を語りかけたのだろう。
  自分のやっていることは、ささくれ立った社会の責任さえも、負わねばならぬものなのか?
  そしてそれは、記者たる者なら越えねばならぬ壁なのか?
  そしてそれらの答えが見つかった時…私は記者を続けられるのか?


 雲を掴むような疑問が、色んな形で浮かんでは消えた。
それは本当に、雲のようだった。
空高く現れては、形を変え厚みを変え、文の心に影を落とした。



  「今の私に出来ることは…明日の新聞を、書くことだけですね…」


 文が見つめる鉛筆が、夕陽を受けて橙に染まっていった。






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 それから数日後。翌日の新聞の草稿が粗方まとまった頃、その「情報」は訪れた。

 ―また人が襲われたらしいぜ…

 ―ああ、また子供だってな…

 他の天狗の噂話を風にキャッチし、文は再び人間の村里へ飛んだ。



 到着した郷では、数日前と全く同じ光景が広がっていた。
涙に暮れる村人。怒りに震える村人。掌を合わせ天に縋る村人。
そして、博麗の札の焼き付いた妖怪の肉片までも、あの時と同じだった。

 また、妖怪が襲ってしまった。また、人間が襲われてしまった。
沈み込む気持ちのまま、文は胸ポケットの鉛筆をとった。



 事件のことを手帳に記しながら、抑えきれない嫌悪感が文を支配する。
手帳のページには、つい数日前と同じようなメモが出来上がっていく。

 事件の記事が事件を呼ぶ―
文の脳裏には、またあの言葉が浮かんでいた。
それは当然に、目の前の光景を不安の色に染めていく。

 湧き上がってくる、もしやという思い。
考えたくないのに、否応なく考えさせられる、その可能性。

 まさか、今回の事件は―






-----

  「このまま時が流れても、幻想郷は幻想郷で在り続けられるのでしょうか…っと…」

 家に戻った後。
取り出した手帳を元に、嫌々に重ねられた文字列。



 記事が事件を呼ぶというなら、今回の事件はまさにその可能性が高い。
幻想郷の平和を愛する者として、人と妖怪の共生を愛する記者として、
こんな短い間に2度も起きた惨劇は心外と言う他無い。ましてそれが、自分の記事のせいだったとしたら。

 この世界で、何か大切なものが壊れ始めているのを、文は記者の本能として感じ取っていた。
書きたくもない記事に最後の幕引きの口上を書き終えたところで、文は鉛筆を止めた。
…こんな記事を読みたがる者はまずいまい。そう思った。

 幻想郷に住む、分別ある知的な連中…別名「文々。」愛読者…の中には、妖怪と人間のいがみ合いを歓迎する好戦家などいない。
妖怪が人間の子供を襲い殺したなど、読み手の胸を痛めるだけである。
 そして、文自身の気持ちも、その記事を人に伝えてしまうことに乗り気ではない。
新聞を書く物は皆、読者の笑顔を期待しているのだ。

 文の横顔に、沈み行く前の夕陽が雲間から差し込む。

  「…よし」

 文は覚悟を決め消しゴムを取り出すと、今しがた書き留めたばかりのページを擦った。
丁寧なメモは瞬く間に細い消し屑となり、はらはらと床に落ちる。

 いずれにせよ他の天狗達は恐らくこの事件を報じるし、
そうなれば幻想郷の連中にも、この事件が知られるのは結局時間の問題だ。
 それならばと文はせめて、文々。だけはこの事件を「記事」として報じまいと誓った。
人妖共生を心から愛する記者として、自分の伝えたい事を伝えると決めた。



 消し終えるとその手に再び、鉛筆をとる。

 人と妖怪の憎み合いは、将来有益なものにはならないこと。幻想郷だからこそ、人妖の争いは避けるべきであるということ。
人間が妖怪の手で犠牲になることの悲しさ、酷たらしさ。そして、このままでは幻想郷の崩壊にも繋がるという警告。
 事件の記録をすっかり消したそのページに、文は自分の想いを訥々と上書きしていった。

 情報は、人の生活を形作る。それはつまり、情報が社会を支配するということ。
この事件は伝えるべきではない事件。しかし、反省せねばならない事件。


 事件を呼ぶと言われても、まさか記事を書くのを止めるわけにはいかない。
ならば、繰り返させない記事を書こう。
 文は文々。を利用して、幻想郷社会を守ることを決めた。





  あの日悩んだ自分の力は、こういうことだったのかもしれない。
  文々。手帳に初めて並んだ「社説」を読みながら、文はそう思った。



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 また数日が流れた。
 あの日以来文は憑き物が落ちたかのように、元通り精力的にネタ探し活動を続けていた。
相変わらず醜い事件は続いているようだったけれど、手帳にはそれについて一言のメモも載っていない。
 あの日以来文々。の紙面はがらりと変わった。
記事と言えば人間と妖怪のドジな体験談や他愛ない日記のみ、そして事件が起こるたび、平和を願う社説が載る。
事件が重なるごとに、社説はその紙面を割いていった。



 そんなある日。


  「久しぶりですね…新聞記者さん」


 約束もなく、ふらりと現れた来客。裁判長だった。
 いつも通りの慇懃な口調と腰の低さで、文の前に静かに立つ。

  「こちらこそお久しぶりです、裁判長様。ご用は何でしょう?特ダネですか?」
  「まさか。
   では早速ですが、要件です。
   この新聞は、どういうことですか?」

 差し出された裁判長の手には、先日の文々。新聞が握られていた。

  「なにか?」
  「文々社説、って欄です」
  「これですか…」
  「私はいつか貴方に問うた筈です、記事の意味を」
  「はい、覚えています。これが、その答えです」

 文はまっすぐ映姫を見返して言った。



  「ほお…ではどういう考えか、説明して貰いましょうか。
   貴方がたどり着いた、新聞記事の意義を」
  「はい。ご説明致します」

 真顔で大きく頷く文に、映姫は目を閉じて無言の催促をする。
 さながら作文の宿題を発表する生徒と、それを聞く担任の先生のような光景。
文はコホンと、小さな咳払いをした。




  「この世界に住む人たちは、情報で世界を見ています。
   情報がその人の考えを決める」
  「それで?」
  「新聞とはそういう意味で、大きな社会的影響力を持つ物である。
   つまり記事にすることで、その人にとっての真実が変わる」
  「…」
  「そうやって真実は記事によって変わっていく。
   それを軽んじて記事を書くのは愚かなことですが、逆にそれを理解して書いたなら…
   新聞記事は真実を変える力になる」

 映姫は目を開き、文を見据えて言った。

  「それでは問いましょう。貴方は何のために新聞を書くのですか」

 文はここぞとばかり、まっすぐ映姫を見返した。
 
  「この世を良くするためです。
   新聞たる以上、現実の出来事を隠してはいけない。でも、その伝え方を工夫すれば、
   新聞記事は今の荒んだ社会を癒せる力となる。
   そう考えて、私は事件をそのまま伝えるのではなく、その悲しさ、空しさ、無意味さを伝えることにしたのです」
 
  「30点」 

 話し終えて満足げな文の前で表情一つも変えぬまま、間髪入れず映姫は言った。

  「30点、ですか…」

 怪訝そうな文のもとに、映姫はゆっくりと歩み寄る。

  「ある妖怪が先日、死者となって私の元へ来ました」
  「…?」
  「その妖怪は、人を殺め、人によって退治されたと言いました」

 映姫の眼が、心なしか鋭くなる。

  「私の元で何を言ったのか教えてあげましょう」
  「…」
  「あの妖怪は、新聞を見て人を襲ったと言いました」


 一瞬文は、映姫の言葉が理解出来なかった。

  「どういうことですか」
  「どうもこうもありません。貴方のその社説を読んで、その妖怪は人を襲ったのです。
   人間の悲しみ、苦しみの話を見て、同じようにしてやろうと考えた」
  「そんな…」
  「私は前に言ったはずです。新聞記事にすることで、それを見た人がまた事件を起こすと。
   事件を追った記事が、また別の事件を誘発するのだと」



 どきん、と。
文の胸が、一つ大きく高鳴った。
 今この裁判長は紛れもなく、「社説を読んで」、事件が起きたと言った。

 人間の悲しむ顔が、妖怪の骸が、子供に手向けられた花が、線香の細い煙が…
あの時の光景が、物凄い速さで文の脳裏を駆けめぐる。
 
  「だから、そんなもこんなもありません。
   これが、貴方が作った真実なのです」

 映姫は突き放すようにそう言って、新聞を文の前に差し出す。


 文はゆっくりと差し出された文々。新聞を受け取り、広げた。
顔の前に広がる社説欄…広げる両手が震えている。
焦点の定まらないその目は、活字を追えなかった。

 「文々社説」が、新たな事件の引き金となったということ。
それはつまり…文の出した答えが、文のとった手段が…間違っていたことを意味している。

 そして、それは何より…他ならぬ自分の記事が、事件を引き起こしてしまったという…
もはや動かしがたい、厳然たる証拠だった。


  「貴方はどういうつもりでこの社説欄を書いたのですか」
  「読み手の心が、真実が…優しくて平和的なものになるようにと…」
  「その結果がどういうことになったか、分かりますね。
   貴方はこの新聞によって、新たな憎しみと悲しみという真実を生み出したのです」

 追い打ちを掛ける映姫の言葉。逃げ出したい気分だった。

  「私の筆力が足りないから…」

 幻想郷の心を治すことが出来なかった無力感が、胸を支配する。
改めて目を落とす社説欄。練りに練った一字一句が、やけに空虚で薄っぺらに見えた。
胸に刺した鉛筆。剣よりも強かったはずの自分のそれが、ただの木片にしか見えなくなった。


 目の前の景色が、色を失っていく。
 手帳の文字が、風に吹かれる蝋燭の炎のように、揺らめきながら薄れていく。

 目に映る新聞は今や、文が愛した「文々。」ではない。
 互いの心の護岸工事なんか笑いもの。時代という名の大波の上、ひらひら漂う紙切れに見えた。
  


  「筆力、ですか…」

 映姫が再び口を開く。

  「そう思っているなら、貴方はもっと甘いということになります」 



  「え…」
 文の目は、再び映姫に向けられる。

  「人も妖怪も汚い者。貴方が綺麗でも、汚い者を浄化することは実に難しい。
   貴方が書いた綺麗な記事を、綺麗に受け取ってくれる人ばかりではない」
  「…」
  「記事を誰かが受け取る。出来事は誰かに受け取られ、その誰かの中でまた真実を作る。
   真実はその人にとっての事実となり、そしてその誰かが事件を作る。

   …貴方は、記事が引き起こした事件の罪を、自分でかぶる必要があるのです」



  「…よく意味が分かりません」

 やや間を置いて返ってきた文の返事に、映姫の語気が心なしか強まる。

  「悲しみを憎む者ばかりではない。
   人も妖怪も、人の痛みを喜ぶ者は必ずいる。
   誰かの痛みを、不幸を…心のどこかで喜ぶ。誰もが持つ、暗く澱んだ心の闇がある」


 静かな昼下がりに響く、どす黒い言葉。
太陽の下、文の目には心なしか…映姫が、本当の地獄の使いのように見えた。


  「歯が浮く綺麗事は、相手に嫌悪感を与えることもある。
   子供が襲われ殺されたこと、これを悲しみと思う者いれば、怒る者もいる。
   そして…喜ぶ者がいる。自分も誰かを…そう思う者が居るのです」
  「…そうならないように、私はあの記事を…」
  「泥が一番良く馴染むのは、泥水ではない。
   一点の曇りもない清水の方にこそ、泥は瞬く間に広がっていく。
   貴方の記事が清らかであればあるほど、ひねた人には癪に障る」
  「…」
  「貴方は記事に真実を書き込むべきではない。
   100人いれば100通りの真実がある。貴方も101通り目。
   そして一つの真実の押しつけは、残り99の真実を攻撃する。何故なら誰もにとって、自らの真実は曲げがたい物だから」

 厳しい言葉に、思わず文は映姫から視線をずらす。


  「逃げるな!!」

 
 刹那、映姫が怒鳴った。
ビクン!と、向き直る文。

  「曲げがたい物に力を加えれば、そこに反発心が生まれる。
   記事に『真実』を書くというのは、それだけ愚かなことなのです。良く心得なさい」

 厳しい口調のまま、映姫はそう言った。



  「はい…」

 理解半分のまま、気圧されて頷いた文。
それを見た映姫も、そこで言葉を終える…

 …はずは勿論、無かった。



  「それでは答えなさい。貴方はどうするべきなのか」
  「…」

 続いていく質問に、満足に答えられるはずもない。
すでに混乱しきった文の頭には、質問の意図さえ、理解出来なかった。

  「私には、新聞記者の資格が、ないという、ことですか…」

 そんな答えは、外れだと分かっている。
それでもそれ以外、答えが見つからなかった。

  「貴方が記事を書くのを止めたらどうなるか?
   情報と、それから得る真実を失った者に残されるのは、本能だけです。
   そんな野蛮な世界を、貴方は許せるの?」
  「いえ…」
  「ならばなぜ。どうしてそこまでして、貴方は記事を書かねばならないのか」

  「…」

  「今まで何を聞いていたのですか?
   私は最初に30点と言ったでしょう。貴方が最初に言ったことは、三割は正解なの。

   誰にも人の真実を変える権利はない。だけど、変える能力がある者がいる。それがマスコミ、記者なのです。
   記事が伝えるべきは事実。人がそれを受け取った時、その人に生まれるのが真実。


   だからこそ、貴方の真実を記事に載せてはいけない。
   真実を変えてしまう力というのは、何よりも大きな力なのです」









 真実…と。
 文は独り言のように呟いてみた。
私の中の真実と、社会の真実。私の正義と、社会の正義…

 新聞記事では、「私」が出てはいけない…
それが、新聞というのものだと映姫は言う。


 それが、私が目指すべき新聞なのか?
 堅く冷たい、まるで石のようなそれが、私の作るべき「文々。」なのか…?


 視線が虚ろになっていく文を見て、映姫はまた、口を開いた。



  「では最後の質問。
   私が今話したことは、事実でしょうか?真実でしょうか?」


 文の目が、大きく見開かれる。
 ゆっくりと視線を上げた文に、映姫はいたずらっぽく笑う。
それは、その日文が初めて見る、映姫の笑顔だった。







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  「それで、なんて答えたのよ」

 日も昇りきった、朝の博麗神社。
そこには霊夢と、早くも遊びに来ていた魔理沙。そして、新聞を配達に来た文の姿があった。

  「何も」
  「あっそう」
  「何だよ」

 霊夢は意外にもあっさり引き下がり、自分の湯飲みに二杯目を注ぐ。
つまらなさそうな舌打ちは魔理沙。

  「この間から社説欄が消えたのは、そのせいだったの」
  「はい」

 文も勝手に、二杯目を注ぐ。

  「心配しなくても、文の記事ごときで私の考えがどうこう変わるなんてことはないぜ」
  「そうね」
  「それはそれで傷つく話ですが…」

 しくしく、と頭を垂れる文に、霊夢と魔理沙は顔を見合わせ、クスッと笑った。



  「大体新聞なんて、1日過ぎればただの焚き付けよ?
   その新聞が真実をどうこうって…そんな力強いことを言われてもね」

 霊夢の言葉に、文がムキになる。

  「それは違います。一日分しかないからこそ、新聞は力強いのです。
   多くの人は一番最初、ほとんどの出来事をマスコミから知るのですから」
  「ま、千里眼や地獄耳持ってる奴らばっかりじゃないからな」

 同調する魔理沙と、はいはいとばかりにツンとそっぽをむき、お茶を淹れ直しに立つ霊夢。



  「まあなにはどうあれ、私の記事で事件を知った妖怪が模倣犯となり、同じような事件を引き起こした」
  「そして同じように霊夢に退治された、ってワケか?」
  「はい。
   でもその顛末は関係ない。私の記事が、新たに一人の子供を奪ったという『事実』には変わりない」
  「やれやれ、随分流されやすい奴だぜ」

 魔理沙が失笑する。
 
  「それだけ偉そうに裁判長に言われておいて何勘違いしてるんだ。
   お前の記事が子供の命を奪ったなんて、何が事実だって言うんだ。それは事実じゃなく、真実だろ?
   お前と、せいぜい裁判長様のたった二人にとっての、小さな小さな真実だぜ」
  「…そうかもしれませんね」
  「かもじゃなくて、実際そうだ。
   事件を新聞記事のせいにするなんて、よっぽどひねくれた真実だぜ」
  「…ありがとうございます」
  「なんだそりゃ」

 急に礼を言われて戸惑う魔理沙に、戻ってきた霊夢が 

  「ホント。魔理沙も優しいところがあるじゃないの。
   弱気に落ち込む新米記者をぶっきらぼうに慰める、だなんてさ」

 と茶化す。



 誰からともなく、3人は笑った。朝の神社に、笑い声がこだまする。
楽しくて穏やかな時間が、神社に流れる。

 このひとときが、文には何故か、物凄くうれしかった。
 例えようもなく、心の底から嬉しかった。

 そう、例え誰もがそうは思わなくても…文はその時間を、『平和』と呼んでいたかった。




 なおも笑い合う3人。
 そして、ようやくひとしきり笑い終え、なおもクスクスやりながら、

  「酷いぜ。私は誰に対しても優しい。
   コレは『事実』だな」

 と、魔理沙がつぶやいた瞬間。



  「「あ、それはない」」

 霊夢と文、一気に真顔に戻った二人の、きっぱりとした声が重なったのだった。









 変わってしまう真実と、誰が見ても同じ客観的な事実。
記事が伝えるべきなのは、やはり後者なのだろう。

 悦びも、美しさも。そして悲しみも、憎しみも、平和さえも、
人それぞれの「真実」は違う。
 咲き誇る花のように、顔の違う人間のように。
同じように見えて、誰かと誰か、必ずどこかが違うのだ。  


 お喋りしている霊夢と魔理沙を見ながら、文は胸に刺した筆記用具を見る。
そこには今までの鉛筆ではなく、ボールペンがセットされている。

  「『ペン』は剣よりも強し…だもんね」

 なんだ、記者として初めから間違ってたのか、と、文は苦笑いした。
新聞記者が、消せる筆記用具を使っていたなんて、とんだ笑い種だったのか。
 

 幻想郷は相変わらず荒んでいる。
それでも文はあれ以来、忠実に「事実」だけを、そのペンで伝えていた。
事件が増えればもどかしく、つい気持ちをぶちまけたくもなるけれど、そこはぐっと堪えるところ。
自分が信じた幻想郷のままなら、いつか読者の心に、温かい真実が伝わる日が来るだろう。
 まったくもって実にもどかしいけれど、それが記者のつとめなのだろうと、思った。 



  「この質問は、次に逢う時までの宿題にしておきましょう…」

 あの最後の質問の後、映姫はそう言い残して、帰って行った。
それがいつになるかは分からないが、どのみち自分にはまだ真実と事実、両方を勉強する必要がある― 
文はそう感じていた。
 宿題は素直に宿題として、胸の奥にしまっておくことにしたのだった。





  「なにボーッとしてるんだよ、鴉」
  「そうよ。大体こんなところで油を売ってる暇があったら、さっさと次のネタ集めにでも行きなさい」


 急にかけられた乱暴な声に、思考が途切れる。
顔を上げれば、こっちを見て笑っている、とても優しい二人の人間。



 

 私が伝えられるのは…最後はやっぱり『真実』なのかもしれない…
 その二つの笑顔に文はまた少しだけ、希望にも似た思いを抱いた。


                                        《完》 







 今でも時折、この作品を覚えて下さっている方に出逢います。
 その光栄な気持ちを、文をすごくフレッシュに捉えてるなーという恥ずかしさが上塗りしてゆく。

 報道について書いた作品。若かった。今なら東方の土俵に乗せることさえ憚りそうですが、意外と神主が射命丸文というキャラに対しそんなテーマを投影している節があり(と当時は感じた)、これを書きました。
 中身は、拡大解釈と詭弁をスパンコールのように鏤めた黒い光の作品。いやぁ若かった。

 それにしても総じて聡明で小粋な神主どのが、花映塚の頃だけなぜか異様に説教臭かった印象があります。
 何があったのでしょうかね? 映姫なんかはその結晶だと思うんですが、そんなこと言うと色んな人に怒られるかしら。
(初出:2005年12月10日 東方創想話作品集22)