【蒼い巨塔】

 澄み渡る紺碧の空を水鏡に映した湖畔。チルノは着ているものを全て脱いで足許に畳み、汀に歩み寄って水浴びを始めた。
 零度の氷精の肌に攻め込む直射日光。盛夏の陽射しは唸れど悶えど暑いものは暑い。清冽な水のみは、しかし季節の空気に右顧左眄することなく純真に冷涼を保ち、今にも溶けるやとも思しき火照り肌を諫めてくれる。心地よかった。
 沐々と水を浴びながら、沸々と滾る激情を堪える。まるで手加減無しの弾幕を浴びせてきた挙げ句に弱虫、おばか、頭が悪い、そうね貴殿の脳味噌はきっとかき氷で出来ているのだわ――
 神社の巫女に散々馬鹿にされた夏の午後の屈辱を、今一度は怜悧な理性の鞘へ収めんとする。その気晴らしも兼ねて水を浴びていた。
 彼女はきっと泰然としている。ぬくぬくと勝利の余韻を味わいながらぽかぽかお風呂と御飯とあったかい布団で眠るんだろうな、あの人間のことを、内では少し羨ましくも想った。但しそれを可視的な態度や可聴的な言動に出せば慎みもなく、益体もなく、穏便な胸の内に収めて妖精なりに謙虚な生を全うしようと、殊勝に試みて水を浴びた。
 浴びた。
 思考が研ぎ澄まされてゆく。
 ゆくが……無理だった。
 私は人間になれぬ。そして人間に憧れる。
 水を浴びた。妖精の小さな掌に有り余る力を私は恵まれたが、博麗の巫女は規格外としておくとも、私とて決定的なまでに妖精と名の付く殻を食い破るに能わず、人には負けるし妖怪にも負ける。妖精は古今東西を問わず河面の雑魚同然に片づけられ、可能性も希望も、夢も恋も、諦念の彼方へと投げ捨ててきた。投げ捨てさせられた。人々は凱歌を歌い、勝ち鬨の旗を翩翻と翻し、武功や叡智で誰かの英雄になることが出来る。だが、妖精が英雄になった試しなどは無い。手垢にまみれた稚い童話の生温い主人公にすっぽり形良く収まっていることはあっても、栄誉を讃える凱風歓声の渦中に両手を挙げて応えられる――そんな世界が無い。赤茶けた絵本の片隅で打ち捨てられる名も無き妖精は、誰かの命にもなれず時に消されてゆく。人が人に信じられることはあっても、妖精が人に信じられることが無い。私はその妖精だ。
 畢竟妖精は大自然に闊歩する要素が一として、その理は小動物に大差無く、されば純白の羽毛のように無色に軽んじられた一生の中、私は一体いくつの人々を微笑ませること出来るのだろう……?
 水を浴びる。稚い悪戯で人々を困らせていた昨日までの自分を脳裏に蘇らせれば、後悔と無力感が縄を糾い小さな胸を締め付けた。小さな力をそれでも誇示しようとして博麗の巫女にお仕置きを喰らい、また別の一過性の好奇心で浅慮な行動に手を出しては相応の報いを受け、受けた痛みを他人のせいにしては反省と無縁の日々を繰り返す。だから馬鹿だと言われるのかもしれない。自分の日常に漠然と形を為す因果応報の定めは、もしや過ちかと、遠雷の稲光に似て焦燥めいた感情を突きつける。次第に近づいてくる真理。足音を聞かせる冷厳な事実。
 水を浴びた。私はたとえば明日から、成長しようか。
 水を浴びた。たとえばそれで、私を眺むる誰かの目が「妖精」の二文字を、私の面影から切り離してくれることがあるのだろうか?
 暑き一日の夕刻、夏影が遙か地平線へと伸びるように、自分よりずっと大きな自分がゆっくり追い掛けてくる。不安という名の影法師は一日が終わりゆくのに比例して、影の色濃さと長さを増し、一夜を開けた未来の朝に恐怖を運び込む。私は妖精である。水を浴びた。
 誰か、私を見てくれるだろうか。
 仮に矮小で、或いは幼稚で、恐らくは無力で、きっと石ころみたいな小さな生命でも、
 妖精の私を、誰か覚えてくれるのだろうか。
 見窄らしく、意地っ張りに煤け、独り善がりの正義の果てで自分勝手な哀惜に心軋ませる妖精の私と、
 誰かきちんと、目を合わせてくれるだろうか。
 誰よりも青く青く澄み渡る焦点をこの瞳に持っていることに、
 誰か、気付いてくれるだろうか。

 水を浴びる手を止めた。清冽な清水が熱っぽい肌を伝う度に心が冷えてゆく。沸騰していた激情が、例えるなら溶岩がそうであるようにすうっと固まってゆく。深く清澄な歩みに戻れる事も無い。在るのは絶望だけだった。
 水を浴びる度に足が竦んだ。水浴びを止めても心は冷え続けた。何をするにも力がない。呼べど返事は返らない。栄誉へ旗揚げしても応えない。笛吹けど踊る者が居ない。勇猛な船出を一人声高に誓い立てても私は無為無力の泥沼に沈んでゆく。
 水を浴びる度に腕が竦む――ならば、水浴びで心を冷ますのはこれまでだ。私はやはり、妖精に生まれたことが間違いだったのか? いいや。この背に背負えない想念を抱いて得手に帆を上げようとも、空元気の吹き流しが全てを無力にしてしまう。ならば私が動いて、風無き日々を風にしよう。
 さぁ、圧倒的なこの哀しみを拭い去るために、英雄の膂力に恃めないとしたら、私の二本足で立ち上がろう。あくまで妖精として、私は立ち上がれるか。

 水を浴びる度に、足も、腕も、震えて立ち竦んでいた。未来へと歩みを刻めなかった。
 膂力に敵わぬなら、せめて知力で勝負してやる。
 無限の可能性を秘める私の叡智も、しかし可能性と名付けて標榜しただけの、つまりは標榜したが故にどうにか縋れるだけの言わば紙風船の浮き輪ではないか? ――否、野心を抱く限り未来は拓けるさ。それを論うなら膂力についても諦観ではなく嘱望だ。鍛えれば鉄が強くなるように、斯様に惰弱な妖精でも、未来の名を強くこの声で呼べば、掴み取れる成功の掌があるだろう。膂力に勝るか、知力に秀でるかは手段に過ぎぬ。
 私は妖精である。身を引き締めるために冷水を浴びたことは無駄ではなかった。知力を研ぎ澄ませるために水を浴びた、屈服しない精神力のために水を浴びた。未来を見据える眦が眠りそうになるのを、こじ開けるために冷水を何度も何度も浴び続けた。手探りで進む明日の日に凍てつき、怯えかかるこの手足だけどいつかは無理矢理藻掻いてみたいから、意識を保つために私は水を浴び続けた。
 私は決意を新たにした。水浴びの手桶を投げ捨てて、ぐっと硬い拳を握り、新たなる強い一歩を刻み込もうとした。
 手足が動かなかった。
 嗚呼、まだ勇気がないのだろうか。私はその勇気を、凛と研ぎ澄ませるために水を浴び続けていたというのによく見れば、それが素肌の上で凍り付いているではないか。何ということだ、それを我が事として信ずるには時間を要した。
 大きな鍾乳洞では石筍というものが下に出来る。自然の摂理である。未来に歩み出すはずの手足は分厚い逆さまの氷柱に閉じこめられて一寸たりとも動かず、そして足許に脱ぎ捨てた服には確かに下着も含まれていた。
 やばい。
 妖精は自然の一部であり、河原の上で逆氷柱になっていても不思議は無いが、身体を流れ落ちた水が我が身の冷気で凍り付くとはお釈迦様でも予想できまい。困った。真夏の試金石も今こそは砕けよと奮い立たせた智慧と膂力、その両方の可能性に私は慌てて縋り付いた。
 嗚呼、私の未来よ!
 しかし、良い智慧は浮かばなかった。膂力など歯が立つ筈もなかった。
 未来は死んだ。
 水を浴びすぎたせいで氷はとても厚い。声を上げれば人が来てしまう。自分が涼気を出すものだから、待てど暮らせど氷は溶けてくれない。無理矢理藻掻くはずだった筈だ腕はそもそも藻掻けない。
 そして服を着ていない。
 だが、心だけは烈しく燃え盛っている。それは弱き犬が身に纏う、襤褸のように美しい勇気の心地だった。何も恥じる事は無い。弱者は弱者らしく地を舐めながら這い上がり、やがては栄光を掴むのだ。一糸纏わぬ姿で硬い氷ひとつに身を委ねて聳え立つ私は、決して卑しくはないはずだ。昼下がりの湖畔。
 道行く人の目に、この醜態こそが逆に、凛と強い意志を秘めた眩しい立ち姿――例えばそんな風にでも、映っているのではなかろうか。
 さあ、叫ぼう。さあ人々よ、讃えるが良い。
 私は溝鼠だ。私は今、最高に輝いているのだ。
 私は弱さに震えながらも、今雄々しく屹立している。この私の、無様なまでの格好良さを見よ。魂を振るわせる感動と共に、その両の眦に颯爽と、まざまざと、私の姿を焼き付けるが良い。
 さあ。
 












 「ママー」
 「シッ、見ちゃいけません」
(初出:2009年6月27日 東方創想話作品集79)