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【合々傘】



 すい、と差し出されたものが、最初は何か分からなかった。
「――どういう風の吹き回しかしら」
「お前には恩を売っておいて、そうそう損はないからな」
 悪戯めいた笑顔で、霧雨魔理沙は笑う。軒先を伝う雨垂れは、生憎ながら彼女の姓に宿るように霧雨とは行かず、ぽつりぽつりと葉を叩く音も大きい。粒の大きく、また夏にしては肌寒い今年の気候に、やはり傘無しで帰るには少し厳しい。
 梅雨が長い。
 雨の季節が、今年は、ひたすらに長く感じる。
「……送ってくれるの? 私の家遠いわよ?」
「家くらいまでなら一緒に行ってやるさ」
「家くらい、じゃなきゃ何処まで付いてくるってのよ」
 ん? と、魔理沙の無垢な笑顔。幾度と無く騙され、幾度と無くまた信じたその笑顔。
 裏に何かがあることもあるし、裏の裏に何かがあることもある。裏の裏の裏までを探ってみても、結局何も無かったこともある。
 いずれにしても、無垢な笑顔である。
 少しの、逡巡の間。
「――きみと、死ぬまで一緒に行ってあげるよ」
「ばぁか」
 アリスは、わざと大きな靴音を残して雨の下へと歩き出す。
 

「なぁ」
「?」
 言葉が途絶えて久しく、まるで息も詰まるような小さな傘の下、最初に口を開いたのは魔理沙の方だった。
「私達って魔法使いだよな」
「そうね」
「魔法使いのくせに、雨一つ自由に出来ないって何かおかしいよなあ」
「……お天気を操るのは古来から最大級の力を要求される魔法よ。雨程度、なんて言い草しないで頂戴」
 真横の体温に、話し掛けている。
「それにしたってさあ」
「……」
「そういえば、傘も不思議だよな。人間なんだしもうちょっと、便利な雨避けを発明しててもおかしくないのに」
「…………」
「アリス?」
「……え? え? ごめん、聞いてなかった」
 ふわっと、その瞬間に跳ね上がる心音。
「あのなあ。こんな近くで喋ってるんだから、せめて話くらいは聞いててくれよな?」
「……」
 ……こんなに近くで喋ってるからよ。
 そんなことを、まさか面と向かって言えるはずもない。
 こんなところだけ少女らしい形と色をした、小さな小さな雨傘の下。冷たく光る金属の、あまりに細い軸を挟んで二人きり、傘の向こうに降り続く長雨に濡れぬよう肩を寄り添わせて、歩く。私の家まで、歩いている。
 私は項垂れ、泥濘んだ道の一歩一歩をじっと注視することで、合わせきれない視線を辛うじてそんなところに逃がしていた。赤らんでいるであろう頬を絶対に観られまいと、俯いた地面に視線を縫い止めて歩く。話なんて、ろくに聞こえる訳がない。
 傘の下。
 雨が降り続く以上、私にとっての世界は、この小さな傘の下だけだった。外界から封絶されて、冷ややかな驟雨から身を寄せ合う二人きり。
 それが、今の私にとっての、小さな小さな世界の全て。
 体温を感じる。吐息の音まで聞こえる。
 だから、
 ……お話なんて、まともに聴ける訳がない。 
「まりさ」
「?」
「貴女は、雨、好きかしら」
 それは、あまりにも唐突な質問だった。
 魔理沙が、今度は押し黙ってしまう。
「あ、ごめん。何でもない、忘れて」
「いや――まぁ黴とか色々心配しないといけないしな、私は雨は嫌いかな」
 静かな口調で、魔理沙は答えてくれた。男勝りな普段の威勢は影を潜め、しとしとと呟く静寂、その長い雨に包まれた魔理沙の横顔。そうやってほんの少しでも、しおらしくしていれば、本当に美しい少女なのだと気付くことが出来る。
 少し上を向いた長い睫毛と、
 季節外れの肌寒さに、ほんの少しだけ赤らんだ頬。
「そういうお前はどうなんだよ」
「私は――実は嫌いじゃないのよね。雨」
「ふうん……そりゃまたどうして?」 
「誰とも逢わなくて、済むから」
 あははっ。
 暗いなあ。
 とっても、お前らしいぜ。
 そんな言葉が……返ってくるかと思ったら返ってこない。
 どうしてだろう?
 傘というのは、今も昔も変わらず不便な形をしている。魔理沙の言う通り、怜悧に進歩を続ける人間が未だ傘だけは、こんなに不便な、足許を汚しながら歩く道具しか形作れない。
 傘の下に世界があることを、まるでみんな気付いているかのように。
 傘は、不便なんかではないのかもしれない。
 ひょっとすると本当は、箒や人形なんかよりも傘の方が、ずっと魔法の道具なのかもしれない。傘が作ってくれる世界の下はあまりにも小さい上に、外の世界は雨が降っている。小さく区切られた世界に二人が寄り添えば、必ずお互いがお互いを大切にする。傷つけたり哀しませたり、まして雨水に濡らしたりなんて、絶対にしないよう息を潜めている。形の無い、脆く弱い人々の心にまで、まるで傘を届かせて雨から守るように。
 雨音以外は聞こえない、ここだけの世界の中で、霧雨魔理沙と言葉を交わしている。
 私の家までの、短い道行きの中で。
「雨が降れば、うちに誰かが来ることも無いから気楽なのよ。いや、晴れてたってうちには誰も来たりしないけど――」
「おいおい」
「だって本当の話だもの。……けど、雨の日は別。あぁ、今日は雨だから誰も来ないんだ、って、ちょっと言い訳が出来るじゃない?」
「んーまぁ、あの霊夢だって雨が降れば空を飛ばないしな」
「うん。そうそう。幻想郷の連中って、みんなして空を飛ぶじゃない? でも逆に、空を飛ぶ連中が多いから、雨の日は却ってみんな出歩かなくなる……」
「……」
「そう、自分に言い訳できるから、雨の日は嫌いじゃない、かな」
 怖い。
 喋っている自分が、何だか、ひたすらに怖かった。
 こんな自分が、一体どこに眠っていたのだろう。
 長い時間を一人きりで暮らして、人恋しさの上にも埃を積もらせて、いつしかこんな雨の音さえ、私を慰めるようになって。 
 そんなものにさえ、慰みを求めるようになって。
 いつの間に?
 この雨が止んだらなんて、そんな矮小な望みが、いつしか、こんなにも後ろ向きの大きな諦念に変わってしまって。
 そして、
 それを語り告げられるような自分がまだ、暖炉の埋み火のようにここに残っていたなんて。
「……あーあ。ついてないわねえ。貴女から借りた魔導書を返さなきゃならないなんて珍しい日に限って、こんな風に雨が降るんですもの」
「はは。私が傘を持ってて、良かったな」
 短く、魔理沙は笑う。
「傘を貸してくれたのは嬉しいけど、別にわざわざついてきてくれなくても良かったのに――心配しなくても、次に晴れたらちゃんと返しに行ったわよ?」
「だってさ、次の晴れがいつになるか分からないじゃないか」
 短く、短く、魔理沙は笑う。
 いつもの爛漫さが影を潜め、
 雨に色彩を失った周囲の光景に赤らんだ魔理沙の頬だけがひらりと光り、まるで、何かを恥ずかしがっているかのように。
「大丈夫、私が付いてきたのにはちゃんと理由がな」
「あら……何かしら」
「お前を送って、私は傘を差して帰るだろ? そうすれば、お前の手を一切煩わせない。すると私はお前に借りを作らず、貸しだけを作ることが出来ると」
「……だから送ってくれるんだ?」
「そういうことだ。これが親切心じゃないってことだけ、分かってもらえれば充分だぜ」
 胸を張り、何故か嬉しそうに魔理沙は駆け出そうとする。
 子供のように、無邪気に。
 どこからか出してきた、少し稚い長靴を水溜まりに跳ね上げるように。
 駆け出そうとして、一歩目の前にしかし、ふいと足を止めた霧雨魔理沙。
 自分一人、駆け出すことが出来ないから。
 今日は、雨だから。
 今、魔理沙は傘を手に持っていて、その傘の下には二人きりの小さな世界がある。二人きりだけど、確かに漏らすこと無く内包してくれる世界の境目が傘の形に切り取られて今この場所にあって、傘を握って魔理沙が一人、駆け出してしまうわけにはいかないから。
 私を濡らすことなんて、きっとしないから。
 魔理沙は。
「……ごめんごめん、危なく走り出しちゃうところだった」
「ううん、本当に走って行っちゃうかと思ったわ。いつもの貴女なら」
「ああ、かもしれないな」
 また魔理沙は笑う。そしてまた、いつもよりも短い、ぎこちない笑みだった。
 やがて木立が途切れ、三角屋根の白い家が見えてくる。
 その家が、主たる私を軒先に迎え入れてくれるまでの短い道程を、最後は二人、黙って歩いた。
 森の中、雨音、半袖の腕を撫で上げてくるような冷たい空気。
 泥濘の道を確かに家まで導いてくれた、ちょっと普通な人間の体温ごと、今日の雨を噛み締めるように歩いた。
「この恩は相当だぜ?」
「……そうですわね、魔理沙様」
「感謝すると良いぜ」
 傘から斜め上へ、私は、鉛色の空を見上げた。
 木々の枝振りに邪魔をされながらも――雨は、どうにか保ってくれた。
 ありがとう、冷たい雨。
 私がこの家に帰り着くまで、止まないでいてくれたね。
 この傘を、
 差したままで、いさせてくれたね。
 

 雨と屋根があれば、世界を切り取ってくれる。
 今も昔も、私の中に見える世界は変わらない。雨の中に差す傘は、雨の中に聳える屋根はきっと外の世界を封絶する力を持っていて、一人きりに切り取られた世界ならそこに寂寥をもたらす。
 そして、
 二人きりに切り取られた世界なら、そこに、この雨が長く続いてくれたら良いのに――なんていう、小さな願いをもたらしてくれる。
 大きな諦念を、刈り取ってゆくのだ。
 魔理沙へ。
 私は、雨が嫌いではない。
 嫌いではないけども、本当に雨の幻想郷を愛することが出来るようになるまでは――「嫌いじゃない」から「好き」とまで言えるようになるまでは――まだ少し、時間が要ると思う。
 私が、
 魔理沙が、
 歩いていく日々に、きっと晴れの日も雨の日もあるだろう。
 だから雨の日には、傘を。
 そして晴れの日には、空を飛ぼう。
 そうやって、魔法使いと言い合える二人が時間を刻めれば良い。魔法の森というこの分厚い傘の下、薄暗い森の中だけど、出来るだけ長い間を二人で生きてゆければ。
 ――そんなことを思ってしまうのも、身に染み付きすぎた孤独の弊害なのかしら。
 傘に切り取られた世界、泥濘んだ短い道の果て、また一人きりの家に私は辿り着く。
 この雨は、いつ止むのだろう。
「ここで良いわ――恩は売り切ったでしょ?」
「売り切ったな。家の玄関先まで送ってやったんだから、これは大儀だ」
「ま、私が頼んだ訳じゃないんだけどね。これは百パーセント、貴女のお節介だから」
「うわぁ、ひどいぜ」
 くつくつと、魔理沙は笑った。私が玄関の軒下に映り、傘の下に一人となって、何か緊張から解放されたように、いつも通りの如才無さを取り戻して笑っていた。
 今度の笑い声は、長く響いた。
 冷たい雨に包まれた今日に、まるで染み渡ってゆくように。
 長靴が水音を奏でる。霧雨魔理沙には何とも似付かわしくない、赤くて小さなその傘の舳先を軒先に雨宿る私に向けて、くるり踵を返した魔理沙。
 また、雨の下に歩いてゆく。

 もしも明日、この雨が止まなければ――
 明日には私が、この恩を返しに行こう。
 彼女よりも、出来れば大きな傘を持って。
 明日の次に続く明日へ、繋がるような大きな傘を差しながら。

「魔理沙」
「なんだ?」
「……………………ありがと」

 閑かな森の雨、長引いた梅雨の季節。
 この後もう少しだけ、優しい雨は、魔法の森を覆い尽くして降り続ける。


(了)




 君らは初恋中の男子中学生か。

 私自身あまりアリマリっぽいのを書いたことが無い(こんぺ作品で一度だけある)ので、今ひとつ、書いててむず痒かったです。なんだこの男子中学生は。ほんとうに。

 以下余談。本作は、この頃に始めた私の活動の一環「SS実況配信」という企画で誕生した作品です。
 執筆してゆくその間にも誰かが見ている、ということで、一発書きの最中止まる訳にも行かないし半端に意味の分からない文章を書く訳にも行かないという、なかなかにまぞひずむなプレイ。
 その後推敲で整えてはいますが、随所に脊椎反射の表現を用いています。
 
(初出:2009年8月2日 東方創想話作品集82)